出典:青空文庫
・・・そのほか、処々の無智ゆえに情薄き評定の有様、手にとるが如く、眼前に真しろき滝を見るよりも分明、知りつつもわれ、真珠の雨、のちのち、わがためのブランデス先生、おそらくは、わが死後、――いやだ! 真珠の雨。無言の海容。すべて、これらのお・・・ 太宰治 「創生記」
・・・その時ブランデスという人がイブセンが来たから歓迎会を開こうというと、イブセンはそんな歓迎会などは御免蒙ると言っている。しかし折角の催しで人数も十二人だけだからといって、漸くイブセンを説き伏せた。面倒を省くためにイブセンの泊っている宿屋で、帝・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・スカンジナヴィア文学の専攻家でブランデスやハムスンを日本に紹介した宮原晃一郎氏が、故郷である北海道の新聞へ何か作品をということで書き出したものだった。このたび思いがけなく新聞切抜きを発見することができたのも、宮原氏の未亡人の協力によった。・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・テエヌ、ブランデスという順に入れましょう。バルザックもなるたけ初期から順に。私はバルザックがどちらかと云えばきらいであり、バルザックがフランスの全歴史を描いている、典型的な時代における典型的人物を描いたリアリストであるというような手紙をドイ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ ブランデスは、ツルゲーネフが死んだ年非常に情愛のこもったツルゲーネフの評伝を書いた。その冒頭に「ツルゲーネフはロシアの散文家中最大の芸術家である」と云っている。 ブランデスがその評伝を書いた時から今日まで、既に五十一年の歳月を経、・・・ 宮本百合子 「ツルゲーネフの生きかた」
・・・と形容した生涯について、実に暖い理解と評価とをもってその研究を書いたブランデスでさえも、バルザックには、その真実に近づこうとする偉大な情熱、人間を描き得る驚くべき天才にかかわらず、「『教育と素養』とも言うべきものが欠けていた」と言わざるを得・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・ 彼に関する研究は、一八七九年に出たブランデスの論文が最も早いものの一つで、その後漸次多くなり、今世紀に入ってからは著しく盛んになっている。一九〇九年までには単行本が六冊、その後一九一三年までには単行本が十冊、雑誌の論文が十篇に達してい・・・ 和辻哲郎 「「ゼエレン・キェルケゴオル」序」