・・・半信半疑ではあるが何だか物凄い、気味の悪い、一言にして云うと法学士に似合わしからざる感じが起こった。「もっとも話しはしなかったそうだ。黙って鏡の裏から夫の顔をしけじけ見詰めたぎりだそうだが、その時夫の胸の中に訣別の時、細君の言った言葉が・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・此画を見た時に余は一種の物凄い感じを起したと同時に、神聖なる高尚なる感じを起こした。王の有様は少しも苦しそうに見えぬ。若し余も死なねばならぬならば、斯ういう工合にしたら窮屈で無くすむであろうと思うた事がある。併し幾ら斯んなにして見た所が棺の・・・ 正岡子規 「死後」
・・・ ただその梢のところどころ物凄いほど碧いそらが一きれ二きれやっとのぞいて見えるきり、そんなに林がしげっていればそれほどみんなはよろこびました。 大臣の子のタルラはいちばんさきに立って鳥を見てはばあと両手をあげて追い栗鼠を見つけては高・・・ 宮沢賢治 「学者アラムハラドの見た着物」
・・・ 夜中もとうにすぎてしまいはもうじぶんが弾いているのかもわからないようになって顔もまっ赤になり眼もまるで血走ってとても物凄い顔つきになりいまにも倒れるかと思うように見えました。 そのとき誰かうしろの扉をとんとんと叩くものがありました・・・ 宮沢賢治 「セロ弾きのゴーシュ」
・・・ それに、あんまり山が物凄いので、その白熊のような犬が、二疋いっしょにめまいを起こして、しばらく吠って、それから泡を吐いて死んでしまいました。「じつにぼくは、二千四百円の損害だ」と一人の紳士が、その犬の眼ぶたを、ちょっとかえしてみて・・・ 宮沢賢治 「注文の多い料理店」
・・・ 平右衛門は手早くなげしから薙刀をおろし、さやを払い物凄い抜身をふり廻しましたので一人のお客さまはあぶなく赤いはなを切られようとしました。 平右衛門はひらりと縁側から飛び下りて、はだしで門前の白狐に向って進みます。 みんなもこれ・・・ 宮沢賢治 「とっこべとら子」
・・・の中に、完全に燈火管制された都会の夜の物凄い気持を、自ら仮死状態に陥った都市の凄さを描いている。レーンの小説「戦争」又はレマルクの「西部戦線異状なし」バルビュスの「砲火」などを読んだ人々は、燈火管制下の夜の凄さというものは、仮死どころか、そ・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・娘の心の中にすむ光りもののささやかに物凄いキラメキを見るにつけて年とった二親は自分達の若い時の事を考えさせられた。母親は十八の時親にそむき家をすててしょうばいがたきのここの家の今の主人の前にその体をなげ出した。自分の生れた家の「時」と云う恐・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・ 悲しさのために私は恐れたのである。 二つ三つ隔った処に私はだまって壁を見て座って居た。 私を呼びに来る人を心待ちに待ちながらも行きかねた気持であった。 物凄い形に引きしまった痛ましい感情が私の胸に湧き返って座っても居られな・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・「それにはまた、物凄い青年が出てきたものだなア。」と梶は云って感嘆した。「それも可愛いところのある人ですよ。発明は夜中にするらしくて、大きな音を立てるものだから、どこの下宿屋からも抛り出されましてね。今度の下宿には娘がいるから、今度・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫