・・・しかし長頭丸が植通公を訪うた時、この頃何かの世間話があったかと尋ねられたのに答えて、「聚落の安芸の毛利殿の亭にて連歌の折、庭の紅梅につけて、梅の花神代もきかぬ色香かな、と紹巴法橋がいたされたのを人褒め申す」と答えたのにつけて、神代もきかぬと・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・偶然、安芸書房の広中氏と故宮原晃一郎氏の夫人とが知りあいの間柄で、「古き小画」の切りぬきは、宮原夫人を通じて手に入った。そして、ここにおさめられることになった。「古き小画」で作者は、古代の近東の封建的な武人生活の悲劇を描こうとしている。・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・そこを三日捜して、舟で安芸国宮島へ渡った。広島に八日いて、備後国に入り、尾の道、鞆に十七日、福山に二日いた。それから備前国岡山を経て、九郎右衛門の見舞旁姫路に立ち寄った。 宇平、文吉が姫路の稲田屋で九郎右衛門と再会したのは、天保六年乙未・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・上杉家は弾正大弼斉定、浅野家は安芸守斉賢の代である。 父伊兵衛は恐らくは帳簿と書出とにしか文字を書いたことはあるまい。然るに竜池は秦星池を師として手習をした。狂歌は初代弥生庵雛麿の門人で雛亀と称し、晩年には桃の本鶴廬また源仙と云った。ま・・・ 森鴎外 「細木香以」
出典:青空文庫