たいこうき【太閤記】
豊臣秀吉の一代記の総称。寛永3年(1626)ごろ成立の小瀬甫庵 (おぜほあん) 著「甫庵太閤記」22巻がその代表的なもの。史料的価値の高い川角 (かわすみ) 三郎右衛門著「川角太閤記」5巻のほかに、「絵本太閤記」「真書太閤記」が流布。浄瑠璃には近松門左衛門の「本朝三国志」や近松柳らの「絵本太功記」、歌舞伎には4世鶴屋南北の「時桔梗出世請状 (ときもききょうしゅっせのうけじょう) 」などがある。
たいこうぎり【太閤桐】
紋所の名。桐の花と葉を図案化したもので、豊臣秀吉が愛用したといわれる。
たいこうけんち【太閤検地】
豊臣秀吉が行った全国的な検地。天正10年(1582)開始。1歩を6尺3寸四方、300歩を1反、田畑の等級を上・中・下・下々の四段階と定め、枡 (ます) を京枡に一定して石高を算定し、耕地1筆ごとに耕作者を検地帳に記載して年貢負担者を確定した。これによって荘園制下の所有関係が整理され、近世封建制度の基礎が確立された。天正の石直し。
出典:青空文庫
・・・大阪の御城を見たら、太閤様のように偉い人でも、いつか一度は死んで・・・ 芥川竜之介「仙人」
・・・猿面冠者の方かね。太閤様だな。……ハハハ。せい公そうだろう?」と・・・ 葛西善蔵「父の出郷」
・・・とグラッドストンと豊太閤みたような人間をつきまぜて一鋼鉄のような・・・ 国木田独歩「牛肉と馬鈴薯」
出典:gooニュース
【住之江ボート G1太閤賞】宮之原輝紀が本格化の予感
3月の太閤賞に来た時に勝率8点台をキープしていた宮之原輝紀(26=東京)は、2、6、5、3、1、5、1、1、1、4着という節間成績で住之江を後にした。予選落ちで迎えた5日目の2走と最終日の前半レースで3連勝。8点レーサーはダテではないと思ったものだ。 前期末の4月が終わった時、全選手の中で守田俊介、茅原悠紀に次ぐ3位の8.13という高勝率だった。
【住之江ボート・GⅠ太閤賞】宮之原輝紀 3コースまくりで予選8位タイ浮上「出足はいいので…」
ボートレース住之江のGⅠ「太閤賞競走 開設68周年記念」は2日、予選3日目が行われた。4Rでは宮之原輝紀(26=東京)が3コースからまくって白星奪取。得点率8位タイに浮上した。 「ターンの一瞬の立ち上がりがいい。ターン回り寄りのペラの形にしているので、直線はいい人には行かれる。1人で乗ってる分にはいいんですけど、展示タイムや1周タイムが出てない」と出足系統は上々。
【住之江ボート・GⅠ太閤賞】松尾拓 苦手水面で日またぎ連勝「うまく調整できている」
ボートレース住之江のGⅠ「太閤賞競走 開設68周年記念」は1日、2日目を行った。 松尾拓(35=三重)は5Rのイン戦、コンマ15とスタートをしっかり決め、手堅く押し切った。初日後半7Rは2コースから差し切り勝ちを決めており、日またぎ連勝となった。 「スリット近辺の雰囲気は良くなってます。行き足からのつながりがいい。
もっと調べる