・・・突然、くすりがきいてきて、女は、ひゅう、ひゅう、と草笛の音に似た声を発して、くるしい、くるしい、と水のようなものを吐いて、岩のうえを這いずりまわっていた様子で、私は、その吐瀉物をあとへ汚くのこして死ぬのは、なんとしても、心残りであったから、・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・「女中さんに三べんもお辞儀をした。苦心さんたんして持って来たんだぜ。久し振りだろう。牛の肉だ。」私は無邪気に誇った。「くすりか何かのような気がして、」家の者は、おずおずと箸をつけた。「ちっとも食欲が起らないわ。」「まあ、食べてみ・・・ 太宰治 「新郎」
・・・○同六日。くすりも、よくめぐりけるか、歯わ、なをり、はらをいたむ。さくじつまでわ、したきりすずめ、こん日わ、にんげんらしきものを、たべたり。つぎに、あぶらやのおせつ、琴にて、さよかぐらを、けいこ。○同七日。ひるから、あめふる。また、・・・ 太宰治 「盲人独笑」
・・・ 始めて飲んだ牛乳はやはり飲みにくい「おくすり」であったらしい。それを飲みやすくするために医者はこれに少量のコーヒーを配剤することを忘れなかった。粉にしたコーヒーをさらし木綿の小袋にほんのひとつまみちょっぴり入れたのを熱い牛乳の中に浸し・・・ 寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」
・・・そしたらさっきから仕度ができてめずらしそうにこの新らしい農夫の近くに立ってそのようすを見ていた子供の百姓が俄かにくすりと笑いました。 するとどう云うわけかみんなもどっと笑ったのです。一斉にその青じろい美しい時計の盤面を見あげながら。・・・ 宮沢賢治 「耕耘部の時計」
・・・ながいきのくすりある。のむよろしい。」支那人は尖った指をつき出して、しきりにすすめるのでした。山男はあんまり困ってしまって、もう呑んで遁げてしまおうとおもって、いきなりぷいっとその薬をのみました。するとふしぎなことには、山男はだんだんからだ・・・ 宮沢賢治 「山男の四月」
・・・しかし、旧来そう云われる標準は、常識のどこに根拠をおいているかと考えると、自信がなくてと不安がっている若いひとも、時には互にくすりと眼くばせし合って、私これでなかなか信用があるのよ、と笑い合う経験はもっている。この罪のない可愛い諷刺は、おの・・・ 宮本百合子 「女の歴史」
・・・純京都式の眉のまんまるくすりつけてあるひたえのせまい、髪の濃い口のショッピリとした女だった。私はおたえちゃんと呼んで見たりうろ覚えに「雛勇はん」と呼んであとで笑ったりして居た。「お百合ちゃん」私はいつでも斯う京都に行ってからは呼ばれて居た。・・・ 宮本百合子 「ひな勇はん」
・・・ その云い方がおかしいと云う風に藍子がくすりと笑った。 松林をぬけて、彼等は清遊館の方へ歩き出した。 宮本百合子 「帆」
出典:青空文庫