・・・が、一段落ついたと見え、巻煙草を口へ啣えたまま、マッチをすろうとする拍子に突然俯伏しになって死んでしまった。いかにもあっけない死にかたである。しかし世間は幸いにも死にかたには余り批評をしない。批評をするのは生きかただけである。半三郎もそのた・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・この日も曇天の海を見ながら、まずパイプへマッチの火を移した。今日のことはもう仕方がない。けれどもまた明日になれば、必ずお嬢さんと顔を合せる。お嬢さんはその時どうするであろう? 彼を不良少年と思っていれば、一瞥を与えないのは当然である。しかし・・・ 芥川竜之介 「お時儀」
・・・ 又 人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦莫迦しい。重大に扱わなければ危険である。 又 人生は落丁の多い書物に似ている。一部を成すとは称し難い。しかし兎に角一部を成している。 ・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・そしてやがて腰を下して、今までの慌てかたにも似ず悠々と煙草入を出してマッチを擦った。折入って頼むといったのは小作一同の地主に対する苦情に就いてであった。一反歩二円二十銭の畑代はこの地方にない高相場であるのに、どんな凶年でも割引をしないために・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・魘われたるごとく四辺をみまわし、慌しく画の包をひらく、衣兜のマッチを探り、枯草に火を点ず。野火、炎々。絹地に三羽の烏あらわる。凝視。彼処に敵あるがごとく、腕を挙げて睥睨す。画工 俺の画を見ろ。――待て、しかし、絵か、・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・「マッチをあげますか。」「先ず一服だ。」 安煙草の匂のかわりに、稲の甘い香が耳まで包む。日を一杯に吸って、目の前の稲は、とろとろと、垂穂で居眠りをするらしい。 向って、外套の黒い裙と、青い褄で腰を掛けた、むら尾花の連って輝く・・・ 泉鏡花 「若菜のうち」
・・・ おじいさんは、懐にあるだけのマッチをすっては、火をつけて、たばこをふかしながら歩いてきました。獣は、みんな火をおそれたからです。 やっと、おじいさんは、村のはずれに着きました。そこには、猟師の平作が住んでいました。「平作――早・・・ 小川未明 「おおかみをだましたおじいさん」
・・・それで煙草とマッチを買い、残った三銭をマッチの箱の中に入れて、おりから瀬多川で行われていたボート競争も見ずに、歩きだした。ところが、煙草がなくなるころには、いつかマッチ箱の中の三銭も落してしまい、もう大福餅一つ買えなかった。それほど放心した・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 私は一本のマッチがあれば、つねに五本の煙草を吸うことが出来た。もう、こうなれば眼がさめた時がうまいとか、食事のあとがどうとかいうようなことを考えている余裕はない。 私はかつて薬の効能書に「食間服用」とあるのを、食事の最中に服用する・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・ 煙草を吸うくせにマッチを持たぬのかと思われるのは、癪だと思ったのだ。すると、「下手な東京弁を使うな。君は大阪とちがうのか」 いきなり男の声が来た。 三十前後の、ヒョロヒョロと痩せて背の高い、放心したような表情の男だったが、・・・ 織田作之助 「夜光虫」
出典:青空文庫