・・・早くから母に死なれ、父は頑固一徹の学者気質で、世俗のことには、とんと、うとく、私がいなくなれば、一家の切りまわしが、まるで駄目になることが、わかっていましたので、私も、それまでにいくらも話があったのでございますが、家を捨ててまで、よそへお嫁・・・ 太宰治 「葉桜と魔笛」
・・・性鈍にしてその真趣を究る能わず、しかのみならず、わが一挙手一投足はなはだ粗野にして見苦しく、われも実父も共に呆れ、孫左衛門殿逝去の後は、われその道を好むと雖も指南を乞うべき方便を知らず、なおまた身辺に世俗の雑用ようやく繁く、心ならずも次第に・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・これと反対にまた世俗に有名ないわゆる大家がたまたま気まぐれに書き散らした途方もない寝言のようなものが、存外有名になって、新聞記者はもちろん、相当な学者までもそれがあたかも大傑作であり世界的大論文であるかのごとく信ずるような場合もあるのである・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
自然現象の科学的予報については、学者と世俗との間に意志の疎通を欠くため、往々に種々の物議を醸す事あり。また個々の場合における予報の可能の程度等に関しては、学者自身の間にも意見は必ずしも一定せざる事多し。左の一篇は、一般に予・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・時々は世俗のいわゆる大作を見せてくださる事を切望する。 安井會太郎。 「桐の花咲くころ」はこれまでの風景に比べて黄赤色が減じて白と黒とに分化している事に気がつく。これは白日の感じを出しているものと思われる。果物やばらのバックは新しいと思・・・ 寺田寅彦 「昭和二年の二科会と美術院」
・・・殿上に桐火桶を撫し簾を隔てて世俗に対したのでは俳人芭蕉は大成されなかったに相違ない。連歌と俳諧の分水嶺に立った宗祇がまた行脚の人であったことも意味の深い事実である。芭蕉の行脚の掟はそっくりそのままに人生行路の掟である。僧心敬が「ただ数奇と道・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・力という語や速度という語が世俗に通じやすくて仕事エネルギーの解しにくいのはそのためである。このような観念の結合連鎖によって組み立てた力学物理学は吾人にとって非常に便宜なものであるが、しかしまたこの建設物が唯一な必然なものだとは信じられない。・・・ 寺田寅彦 「物質とエネルギー」
・・・そういう時に世人はよく理論と実際という常套語を持出して科学者の迂遠を冷笑するのが例である。世俗人情に関した理論などはいざ知らず、物理学上の方則は事実を煎じつめて得たもので嘘のあるはずはない。もし上記のような場合があればそれは理論の適用を誤っ・・・ 寺田寅彦 「物理学の応用について」
・・・もしこれが何でもない事で分り切った事であったならば、世俗の人が科学を誤解し学者を唐変木視する気遣いは更にないはずである。 次にゼンマイ秤で物の目方を衡る場合を考えてみよう。不断に変化する宇宙全体が秤皿に影響してその総効果が収斂しなかった・・・ 寺田寅彦 「方則について」
・・・つまり僕は、次第に世俗の平凡人に変化しつつあるのである。これは僕にとって、嘆くべきことか祝福すべきことか解らない。 その上にまた、最近家庭の事情も変化した。僕は数年前に妻と離別し、同時にまた父を失ってしまった。後には子供と母とが残ってる・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
出典:青空文庫