・・・また科学者がこのような新しい事実に逢着した場合に、その事実の実用的価値には全然無頓着に、その事実の奥底に徹底するまでこれを突き止めようとすると同様に、少なくも純真なる芸術が一つの新しい観察創見に出会うた場合には、その実用的の価値などには顧慮・・・ 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・中には三十年ぶりに逢う顕官もあった。 私はY氏に桂三郎を紹介することを、兄に約しておいたが、桂三郎自身の口から、その問題は一度も出なかった。彼が私の力を仮りることを屑よしとしていないのでないとすれば、そうたいした学校を出ていない自分を卑・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・――きょうはどのへんで逢うだろうか――。 鉄の門をおしやぶるようにして、人々は三つの流れをつくっている。二つは門前の道路を左右へ、いま一つは橋をわたって、まっすぐにこっちへ流れてくる。娘、婆さん、煙草色の作業服のままの猫背のおやじ。あっ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・それはいずこも松の並木の聳えている砂道で、下肥を運ぶ農家の車に行き逢う外、殆ど人に出会うことはない。洋服をきたインテリ然たる人物に行逢うことなどは決してない。しかし人家はつづいている。人家の中には随分いかめしい門構に、高くセメントの塀を囲ら・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・幾度か相逢ううちにお石も太十の情に絆された。そうでなくとも稀に逢えば誰でも慇懃な語を交換する。お石に逢う度に其情は太十の腸に浸み透るのであった。瞽女は秋毎に村へ来た。そうしてお石は屹度其仲間に居たのである。太十は後には瞽女の群をぞろぞろと自・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・「しかし鉄片が磁石に逢うたら?」「はじめて逢うても会釈はなかろ」と拇指の穴を逆に撫でて澄ましている。「見た事も聞いた事もないに、これだなと認識するのが不思議だ」と仔細らしく髯を撚る。「わしは歌麻呂のかいた美人を認識したが、なんと画を活か・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・本郷でも、大学の前から駒込の方へ少し行けば、もう町はずれにて、砂煙の中に多くの肥車に逢うた。 その頃には、今の大学の正門の所に粗末な木の門があった。竜岡町の方が正門であって、そこは正門ではなかったらしい。そこから入ると、すぐ今は震災で全・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・「常に孤独で居る人間は、稀れに逢う友人との会合を、さながら宴会のように嬉しがる」とニイチェが云ってるのは真理である。つまりよく考えて見れば、僕も決して交際嫌いというわけではない。ただ多くの一般の人々は、僕の変人である性格を理解してくれないの・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・私は蛞蝓に会う前から、私の知らない間から、――こいつ等は俺を附けて来たんじゃないかな―― だが、私は、用心するしないに拘らず、当然、支払っただけの金額に値するだけのものは見得ることになった。私の目から火も出なかった。二人は南京街の方へと・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・も一度逢うことは出来まいか。あの人車を引っ返させたい。逢ッて、も一度別離を告げたい。まだ言い残したこともあッた。聞き残したこともあッた。もうどうしても逢われないのか。今夜の出発が延ばされないものか。延びるような気がする。も一度逢いに来てくれ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
出典:青空文庫