・・・去年まず検事補に叙せられたのが、今年になって夏のはじめ、新に大審院の判事に任ぜられると直ぐに暑中休暇になったが、暑さが厳しい年であったため、痩せるまでの煩いをしたために、院が開けてからも二月ばかり病気びきをして、静に療養をしたので、このごろ・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・で、その原因事情はいずれにもせよ、大審院の判決通り真に大逆の企があったとすれば、僕ははなはだ残念に思うものである。暴力は感心ができぬ。自ら犠牲となるとも、他を犠牲にはしたくない。しかしながら大逆罪の企に万不同意であると同時に、その企の失敗を・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・アメリカの大審院判事W・O・ダグラスというひとがニューヨークのある晩餐会で話したという言葉がつたえられている。「いまや世界の各地には、かつてアメリカでおこなわれたと同じような革命が進行しつつある。大切なのはこれにたいする管理と指導である。将・・・ 宮本百合子 「「人間関係方面の成果」」
・・・〔五〕月初旬に大審院上告が却下された。無期徒刑囚として宮本は網走刑務所に移された。この空襲と宮本の網走行の異常な伴奏として五月二日のベルリン陥落、つづいてドイツ無条件降伏が伝えられた。日本のどんなに多くの人間がその頃胸をとどろかせて朝々・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・元大審院部長・元司法次官三宅正太郎という人が、中央労働委員会の会長に就任した。これは、世界にも類のない民主化の方法である。 同時に主要食糧供出に対する強権発動のことが云われている。申告すべき退蔵物資の十六種目一覧表も載った。ここに又一つ・・・ 宮本百合子 「モラトリアム質疑」
出典:青空文庫