・・・「それああなた、人口が少ないですがな」「しかし少し癪にさわるね。そうは思わんかね」などと私は笑った。「初めここへ来たころは、私もそうでした。みんな広大な土地をそれからそれへと買い取って、立派な家を建てますからな。けれど、このごろ・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・林は口数の少ない子だから、それだけしか言わなかったが、それはあきらかに、私のために詫びてくれてるのだということが、誰にもわかった。 それで、こんどはいくらかおどろいたような奥さんの声が訊いた。「おや、この子、茂さんのお友達?」 ・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・それでも春から秋の間は蛇が梁木を渡るので鼠が比較的少ない。蛇は時とすると煤けた屋根裏に白い体を現わして鼠を狙って居ることがある。そうした後には鼠は四五日ひっそりする。収穫季の終が来て蛇が閉塞して畢うと鼠は蕎麦や籾の俵を食い破る。それでも猫は・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・が幾何的に存在している限りはそれぞれの定義でいったん纏めたらけっして動かす必要もないかも知れないが、不幸にして現実世の中にある円とか四角とか三角とかいうもので過去現在未来を通じて動かないものははなはだ少ない。ことにそれ自身に活動力を具えて生・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
一 ――一九二三年、九月一日、私は名古屋刑務所に入っていた。 監獄の昼飯は早い。十一時には、もう舌なめずりをして、きまり切って監獄の飯の少ないことを、心の底でしみじみ情けなく感じている時分だ。 私は・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・余の家の南側は小路にはなって居るが、もと加賀の別邸内であるのでこの小路も行きどまりであるところから、豆腐売りでさえこの裏路へ来る事は極て少ないのである。それでたまたま珍らしい飲食商人が這入って来ると、余は奨励のためにそれを買うてやりたくなる・・・ 正岡子規 「九月十四日の朝」
・・・あまり煙の少ないときは、コルク抜きの形にもなり、煙も重いガスがまじれば、煙突の口から房になって、一方ないし四方におちることもあります。」 大博士はまたわらいました。「よろしい。きみはどういう仕事をしているのか。」「仕事をみつけに・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・『人民の文学』は、ひろく読まれているのに、詳細な書評が少ないのは、この複雑性によるとも考えられる。 宮本顕治の文芸評論をながめわたすと、いくつかの点に心をひかれる。その一つは、著者が若々しい第一作「敗北の文学」及び「過渡期の道標」で示し・・・ 宮本百合子 「巖の花」
・・・ところが、その翻訳書の数が多くないのに、善い訳は少ないので、翁の新しい医学の上の智識には頗る不十分な処がある。 防腐外科なんぞは、翁は分っている積りでも、実際本当には分からなかった。丁寧に消毒した手を有合の手拭で拭くような事が、いつまで・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・従って多くを示唆する少ない語の代わりに、少なくを説明しようとする多くの語がある。しかも熱に浮かされた自分にはその空虚が充溢に見えるのである。 大業にし過ぎるということは若い者にあり勝ちの欠点かも知れない。重大事を重大事として扱うのに不思・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫