三十七年の夏、東圃君が家族を携えて帰郷せられた時、君には光子という女の児があった。愛らしい生々した子であったが、昨年の夏、君が小田原の寓居の中に意外にもこの子を失われたので、余は前年旅順において戦死せる余の弟のことなど思い・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・そして全く、思いがけない意外の人間世界を発見した。そこには貧しい農家の代りに、繁華な美しい町があった。かつて私の或る知人が、シベリヤ鉄道の旅行について話したことは、あの満目荒寥たる無人の曠野を、汽車で幾日も幾日も走った後、漸く停車した沿線の・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・この枝葉・外形の事よりして双方の間に不和を生じ、改進の一元素中に意外の変を起すは、国のためにもっとも悲しむべき事ならずや。すなわち、編首にいわゆる直接のために眼光を掩われて地位の利害に眩するものなり。 たとえば新聞記者の禁獄の如し。その・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・文を売りて米の乏しきを歎き、意外の報酬を得て思わず打ち笑みたる彼は、ここに至って名利を見ること門前のくろの糞のごとくなりき。臨むに諸侯の威をもってし招くに春岳の才をもってし、しこうして一曙覧をして破屋竹笋の間より起たしむるあたわざりしもの何・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・ 先生は意外なようにしばらくじっとカムパネルラを見ていましたが、急いで「では。よし。」と云いながら、自分で星図を指しました。「このぼんやりと白い銀河を大きないい望遠鏡で見ますと、もうたくさんの小さな星に見えるのです。ジョバンニさんそ・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・なぜといえば、トルーマン再選を奇蹟的だの意外だのと書きながら、一方でその新聞は、トルーマンは彼の困難な選挙活動のはじまりから、非民主的だった第八十議会の実状を率直に訴えれば、アメリカ市民は彼に協力するにちがいないという十分の確信にたっていた・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
・・・の御代に、蒲生殿申され候は、細川家には結構なる御道具あまた有之由なれば拝見に罷出ずべしとの事なり、さて約束せられし当日に相成り、蒲生殿参られ候に、泰勝院殿は甲冑刀剣弓鎗の類を陳ねて御見せなされ、蒲生殿意外に思されながら、一応御覧あり、さて実・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・それというのも、まだ知らぬその青年について、高田の説明が意外な興味を呼び起させるものだったからである。青年は栖方といって俳号を用いている。栖方は俳人の高田の弟子で、まだ二十一歳になる帝大の学生であった。専攻は数学で、異常な数学の天才だという・・・ 横光利一 「微笑」
・・・ 己は戸を開けたが、意外の感に打たれて、閾の上に足を留めた。 ランプの点けてある古卓に、エルリングはいつもの為事衣を着て、凭り掛かっている。ただ前掛だけはしていない。何か書き物をしているのである。書いている紙は大判である。その側には・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・彼の根柢は意外に深い。事ごとに彼はピョイピョイ飛び出して来る。そうしてその瞬間に私は彼を喝采する心持ちになっている。たとえすぐそのあとでそれを後悔するとしても。 私は二三日前に一人の女の不誠実と虚偽と浅薄と脆弱と浮誇とが露骨に現わされて・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫