・・・ いくら子供がこう言っても、爺さんは聞きませんでした。そうして、唯早くしろ早くしろと子供をせッつくばかりでした。 子供は為方なしに、泣く泣く空から下がっている綱を猿のように登り始めました。子供の姿は段々高くなると一緒に段々小さくなり・・・ 小山内薫 「梨の実」
・・・ここの温泉にはいると、子供が出来るて聞きましたので……」 あっ、と思った。なにが解消なもんかと、なにか莫迦にされているような気がした。 いつか狭霧が晴れ、川音が陽の光をふるわせて、伝わって来た。女のいかつい肩に陽の光がしきりに降り注・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ 喬はそんな話を聞きながら、頭ではS―という男の話にきいたある女の事を憶い浮かべていた。 それは醜い女で、その女を呼んでくれと名を言うときは、いくら酔っていても羞しい思いがすると、S―は言っていた。そして着ている寝間着の汚いこと、そ・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・辰弥の耳は逸早く聞きつけて振り返りぬ。欄干にあらわれたるは五十路に近き満丸顔の、打見にも元気よき老人なり。骨も埋もるるばかり肥え太りて、角袖着せたる布袋をそのまま、笑ましげに障子の中へ振り向きしが、話しかくる一言の末に身を反らせて打ち笑いぬ・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・と、私は持ち主の樋口に聞きますと、樋口は黙ってうなずいて軽くため息をしました。 私が鸚鵡を持って来たので、ねそべっていた政法の二人ははね起きました、「どうした」と鷹見は鸚鵡のかごと私の顔を見比べて、しかも笑いながら、聞きますから、「・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・その声を聞きつつ何か勝利感に似たものをハッキリと覚えている。 読書は自信感を与えるものである。読書しないでいると内部が空虚になっていく。読書しない青年には有望な者はいない。天才はたとい課業の読書は几帳面でないまでも、図書館には籠って勉強・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・これを米屋の番頭から聞きこんだあるはしっこい女は、じゃ、うちにある外米を売ってあげよう、うんと安くしてあげてもかまわないから、と云いだした。 往復一里もあるその部落へその女は負い籠を背負って行ったそうだが、結果がどうなったかは帰って来て・・・ 黒島伝治 「外米と農民」
・・・雁坂を越して峠向うの水に随いてどこまでも下れば、その川は東京の中を流れている墨田川という川になる川だから自然と東京へ行ってしまうということを聞きかじっていたので、何でも彼嶺さえ越せばと思って、前の月のある朝酷く折檻されたあげくに、ただ一人思・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・ 母親はたった一言も聞き洩さないように聞いていた。――それから二人は人前もはゞからずに泣出してしまった。 * それから半年程して、救援会の女の人が、田舎から鉛筆書きの手紙を受取った――それはお安が書いた手紙だった・・・ 小林多喜二 「争われない事実」
・・・はぎりぎり決着ありたけの執心をかきむしられ何の小春が、必ずと畳みかけてぬしからそもじへ口移しの酒が媒妁それなりけりの寝乱れ髪を口さがないが習いの土地なれば小春はお染の母を学んで風呂のあがり場から早くも聞き伝えた緊急動議あなたはやと千古不変万・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
出典:青空文庫