・・・だから江口の批評は、時によると脱線する事がないでもない。が、それは大抵受取った感銘へ論理の裏打ちをする時に、脱線するのだ。感銘そのものの誤は滅多にはない。「技巧などは修辞学者にも分る。作の力、生命を掴むものが本当の批評家である。」と云う説が・・・ 芥川竜之介 「江口渙氏の事」
・・・が、幕府が瓦解し時勢が一変し、順風に帆を揚げたような伊藤の運勢が下り坂に向ったのを看取すると、天性の覇気が脱線して桁を外れた変態生活に横流した。椿岳の生活の理想は俗世間に凱歌を挙げて豪奢に傲る乎、でなければ俗世間に拗ねて愚弄する乎、二つの路・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・なという固着観念を、猫も杓子も持っていて、私はそんな定評を見聴きするたびに、ああ大阪は理解されていないと思うのは、実は大阪人というものは一定の紋切型よりも、むしろその型を破って、横紙破りの、定跡外れの脱線ぶりを行う時にこそ真髄の尻尾を発揮す・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・とその当時私は友人の顔を見るたび言っていたが、無論お定の事件からこんな文学論を引き出すのは、脱線であったろう。 が、とにかく私は笑えばいいと思った。女の生理の悲しさについて深刻に悩むことなぞありゃしない、俺を驚かせた照井静子の奔放な性生・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ 地震のために脱線したり、たおれこわれたりした列車は、全被害地にわたって四十四列車もあります。東京から地方へのがれ出るには、関西方面行の汽車は箱根のトンネルがこわれてつうじないので、東京湾から船で清水港へわたり、そこから汽車に乗るのです・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・ おや、脱線している。こんな出鱈目な調子では、とても紀元二千七百年まで残るような佳い記録を書き綴る事は出来ぬ。出直そう。 十二月八日。早朝、蒲団の中で、朝の仕度に気がせきながら、園子に乳をやっていると、どこかのラジオが、はっきり聞え・・・ 太宰治 「十二月八日」
・・・人間は、好むところのものを行うのが一ばんいいのさ。脱線を致しました。僕は、精神的だの、理解だのの恋愛を考えられないだけの事です。王子の恋愛は正直です。王子のラプンツェルに対する愛情こそ、純粋なものだと思います。王子は、心からラプンツェルを愛・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・話は脱線するが、最近に見た新発明の方法によると称する有色発声映画「クカラッチャ」のあの「叫ぶがごとき色彩」などと比べると、昔の手織り縞の色彩はまさしく「歌う色彩」であり「思考する色彩」であるかと思われるのである。 化学的薬品よりほかに薬・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・「藤沢江の島間電車九月一日開通、衝突脱線等あり、負傷者数名を出す」という文句の脇に「藤沢停車場前角若松の二階より」とした実に下手な鉛筆のスケッチがある。 逗子養神亭から見た向う岸の低い木柵に凭れている若い女の後姿のスケッチがある。鍔・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・ また少し脱線ではあるが雲紋竹と称して、竹の表面に褐色の不規則な輪紋を呈したものがある。これは人工的加工でこしらえたものも多いようであるが、もとはやはり天然の植物黴菌か何かでできたものがあるのではないかと思われる。そう言えば培養された黴・・・ 寺田寅彦 「自然界の縞模様」
出典:青空文庫