ひばくしゃ【被爆者】
1 爆弾による攻撃を受けた人。 2 特に、原子爆弾などの核爆弾による攻撃を受けた人。→被爆 [補説]厚生労働省は、被爆者援護法に基づいて、原爆投下時に広島・長崎市などの一定区域にいて直接被爆した人を1号被爆者(直接被爆者)、原爆投下から2週間以内に救護・医療・親族探しなどのため爆心地から2キロメートル以内の区域に立ち入った人を2号被爆者(入市被爆者)、被爆地の外に避難した被爆者の救護や遺体の処理に携わるなどして残留放射能により被爆した人を3号被爆者(救護被爆者)、1〜3号被爆者の胎児だった人を4号被爆者(胎内被爆者)と定めている。
ひばくしゃけんこうてちょう【被爆者健康手帳】
昭和20年(1945)8月に広島市と長崎市に投下された原子爆弾によって被害を受け、被爆者援護法に基づいて被爆者と認定された人に交付される手帳。所持者数は11万8935人(令和4年3月末現在)。医療費や健康管理手当・介護手当などの支給を受けることができる。被爆者手帳。
ひばくしゃてちょう【被爆者手帳】
⇒被爆者健康手帳
出典:gooニュース
被爆した元タカラジェンヌ 激動の人生を映画に 語り継ぐ会長に聞く
戦時中、公演先の広島で被爆し、32歳で亡くなった岩手県出身の元タカラジェンヌ・園井恵子(本名・袴田トミ)。その激動の人生を語り継ごうと、終戦80年になる来年にあわせ、映画制作の計画が進められている。「未完の俳優」の人生と映画制作について、岩手県芸術文化協会長で、「園井恵子を語り継ぐ会」(岩手県岩手町)の会長も務める柴田和子さん(75)に聞いた。 園井恵子の半生は?
チェルノブイリ原発事故から38年 被爆者団体など慰霊碑前で座り込み「核と人類は共存できない」 広島
広島市中区にある平和公園の原爆慰霊碑前では県原水禁などの呼びかけで被爆者や市民およそ50人が座り込みを行いました。 この座り込みは1986年4月26日に発生したチェルノブイリ原発事故以降毎年行われています。 今年は、1月に発生した能登半島地震にも触れ、地震と原発事故といった複合災害の危険性を訴えました。
認定外の「被爆体験者」と首相の面会を調整 国と長崎市、8月9日に
国が指定する地域外で長崎原爆に遭い、被爆者と認められていない「被爆体験者」らが25日、毎年8月9日の平和祈念式典後、首相と被爆者団体代表が面会する場に、被爆体験者も参加できるよう長崎市などに要望した。市側は、国や被爆者団体と調整を始めていることを明らかにした。
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