・・・ところが短かい談話で、国民文学記者にコンラッドだけを詳しく話す余地がなかったので、ついと日高君の誤解を招くに至ったのは残念である。 要するに日高君の御説ははなはだごもっともなのである。けれども余のコンラッドを非難した意味、及びこの意味に・・・ 夏目漱石 「コンラッドの描きたる自然について」
・・・ こうした環境に育った僕は、家で来客と話すよりも、こっちから先方へ訪ねて行き、出先で話すことを気楽にして居る。それに僕は神経質で、非常に早く疲れ易い。気心の合った親友なら別であるが、そうでもない来客と話をすると、すぐに疲労が起ってきて、・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・ 私は今話すのが苦しいんだけれど、もしあんたが外の事をしないのなら、少し位話して上げてもいいわ」 私は真赤になった。畜生! 奴は根こそぎ俺を見抜いてしまやがった。再び私の体中を熱い戦慄が駈け抜けた。 彼女に話させて私は一体どんなこと・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・平田が談話すことが出来るものか。お前さんの性質も、私はよく知ッている。それだから、お前さんが得心した上で、平田を故郷へ出発せたいと、こうして平田を引ッ張ッて来るくらいだ。不実に考えりゃア、無断で不意と出発て行くかも知れない。私はともかく、平・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
私の文学上の経歴――なんていっても、別に光彩のあることもないから、話すんなら、寧そ私の昔からの思想の変遷とでもいうことにしよう。いわば、半生の懺悔談だね……いや、この方が罪滅しになって結句いいかも知れん。 そこでと、第・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・今日もまた例の画がかいてあったとその内の人が笑いながら話すのを僕が聞いたのも度々であった。その時の幼い滑稽絵師が今の為山君である。○僕に絵が画けるなら俳句なんかやめてしまう。〔『ホトトギス』第三巻第五号 明治33・3・10〕・・・ 正岡子規 「画」
・・・ぼくはもう行ってきっとすっかり見て来る、そしてみんなへ詳しく話すのだ。一九二五、五、一八、汽車は闇のなかをどんどん北へ走って行く。盛岡の上のそらがまだぼうっと明るく濁って見える。黒い藪だの松林だのぐんぐん窓を通って行く。・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・陽子は、自分の生活の苦しさなどについて一言もふき子に話す気になれなかった。 四 妹の百代、下の悌、忠一、又従兄の篤介、陽子まで加ったのでふき子の居間は満員であった。円卓子を中心にして、奥の箪笥の前にふき子が例の・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・かれはこの一件を話すがために知らぬ人を呼び止めたほどであった。今はかれも胸をなでた。しかるにまだ何ゆえともわかりかねながらどこかにかれを安からず思わしむるものがある。人々はかれの語るを聴いていてもすこぶるまじめでない。彼らはかれを信じたらし・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・ついでだから話すが、今の文壇というものは、鴎外陣亡の後に立ったものであって、前から名の聞こえて居た人の、猶その間に雑って活動しているのは、ほとんど彼ほととぎすの子規のみであろう。ある人がかつて俳諧は普遍の徳があるとか云ったが、子規の一派の永・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
出典:青空文庫