・・・言い終えたら、鼠のような身軽さでちょこちょこ走り去った。「ちえっ! 菊ちゃん、ビイルをおくれ。おめえの色男がかえっちゃった。佐野次郎、呑まないか。僕はつまらん奴を仲間にいれたなあ。あいつは、いそぎんちゃくだよ。あんな奴と喧嘩したら、倒立・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・私は、それに答えて、あなたはそりゃ、お子さんも無いし、奥さんと二人で身軽にどこへでも行けるでしょうが、私はどうも子持ちですからね、ままになりません、と言った。すると彼は、私に同情するような眼つきをして、私の顔をしげしげと見て、黙した。 ・・・ 太宰治 「女神」
・・・が次の瞬間には、まるで深谷の身軽さが伝染しでもしたように、風のように深谷の後を追った。 深谷は、寄宿舎に属する松林の間を、忍術使いででもあるように、フワフワとしかも早く飛んでいた。 やがて、代々木の練兵場ほども広いグラウンドに出た。・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・走者は身軽にいでたち、敵の手の下をくぐりて基に達すること必要なり。危険なる場合には基に達する二間ばかり前より身を倒して辷りこむこともあるべし。この他特別なる場合における規定は一々これを列挙せざるべし。けだし一々これを列挙したりともいたずらに・・・ 正岡子規 「ベースボール」
・・・それほどこれらの鶯やひわなどは身軽でよく飛ぶ。また一生けん命に啼く。うぐいすならば春にはっきり啼く。みそさざいならばからだをうごかすたびにもうきっと啼いているのだ。 これらの鳥のたくさん啼いている林の中へ行けばまるで雨が降っているようだ・・・ 宮沢賢治 「学者アラムハラドの見た着物」
・・・外で働く男の人は仕事の場面でまだ若い身軽な女性を見出して、その人と新しい結婚生活に入ることが発展だという風に理屈づけるけれども、その婦人が又結婚生活の中で主婦として暮しはじめたとき、果して全く新しい家庭の形態というものがつくれるでしょうか。・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・どんな婦人でも、今の乗物には身軽こそがのぞましい。由紀子という人が、二人の子供を前とうしろにかかえて外出したということは、その一家に、留守番をしたり子供を見たりする人手の無いことを語っているのである。 警告を発するならば、先ず運輸省の不・・・ 宮本百合子 「石を投ぐるもの」
・・・止り木から止り木へ、ひょいひょい身軽に移る度毎に、細く削った竹籠のすきから、巻いた柔かそうな胸毛の洩れる姿が、何ともいえず美くしかった。「いいわね」と私が云う。「僕等も何か飼ってみようか」 良人が云う。帰京すると、彼はいつの・・・ 宮本百合子 「小鳥」
・・・長男の家族的な負担の重さは、長男という身分に生れあわせた青年達の自由さと身軽さと自分で選ぶ人生の道を奪う場合が多い。同じ男の子でも、次男、三男は長男の犠牲となる場合が多かった。戦争で長男が奪われた時などは、これまでどうせ、分家をするものだと・・・ 宮本百合子 「青年の生きる道」
・・・踊り達者で名うてのオリガが、重い防寒靴をはいているとは信じられない身軽さで、つと輪の真中にでた。機械工体育部水泳選手のドミトリーが、今度は対手だ。本ものだ! 本もののソヴェトのプロレタリアの祝の踊りである。 ニーナは、ほれぼれするような・・・ 宮本百合子 「ソヴェト同盟の三月八日」
出典:青空文庫