・・・ 男共は牛や羊を追って、月の下の霞んだ道を帰って行きました。女達は花の中で休んでいました。そして、そのうちに、花の香りに酔い、やわらかな風に吹かれて、うとうとと眠ってしまったものもありました。 この時、月は小さな太鼓が、草原の上に投・・・ 小川未明 「月と海豹」
・・・ふと心のなかに喜ばないものがあるのを感じて、それを追ってゆき、彼の突きあたるものは、やはり病気のことであった。そんなとき喬は暗いものに到るところ待ち伏せされているような自分を感じないではいられなかった。 時どき彼は、病める部分を取出して・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・駈けを追ってすぐに取りかかろうぞ。よし。始めよう。猶予は御損だ急げ急げ。 身を返しさま柱の電鈴に手を掛くれば、待つ間あらせず駈けて来る女中の一人、あのね三好さんのところへ行ってね、また一席負かしていただきたいが、ほかにお話しもありますか・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・お俊は折り折り団扇で蚊を追っていましたが『オオひどい蚊だ』と急に起ち上がりまして、蚊帳の傍に来て、『あなたもう寝たの?』と聞きました。『もう寝かけているところだ』と私はなぜか寝ぼけ声を使いました。『ちょっと入らして頂戴な、蚊で堪らな・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・ 猫は、彼等が寝た後まで土間や、床の下やでうろ/\していた。追っても追っても外へ出て行かなかった。これでも屋内の方が暖いらしい。……大方眠りつこうとしていると、不意に土間の隅に設けてある鶏舎のミノルカがコツコツコと騒ぎだした。「おど・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・あの奥様の後をよく追って歩いて長い裾にまつわり戯れるような犬が庭にでも出て遊ぶ時と見えた。おげんは夢のような蒼ざめた光の映る硝子障子越しに、白い犬のすがたをありありと見た。 寒い、寒い日が間もなくやって来るように成った。待っても、待って・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ と別れを告げて行くお三輪の後を追って、お力は一緒に歩いて来た。芝公園の中を抜けて電車の乗場のある赤羽橋の畔までも随いて来た。 お三輪も別れがたく思って、「いろいろお世話さま。来られるようだったら、また来ますよ。お力、待っていて・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・ギンはびっくりして、いきなり後を追って飛びこもうとしました。すると、後から、「これこれおまちなさい。そんなにさわがなくてもいい。こっちへお出でなさい。」と、だれだか大声でよびとめるものがありました。ふりむいて見ますと、少しはなれたところ・・・ 鈴木三重吉 「湖水の女」
・・・女は、そのあとを追って、死ぬよりほかはないわ、と呟いて、わが身が雑巾のように思われたそうである。 女は、私の友人の画家が使っていたモデル女である。花の衣服をするっと脱いだら、おまもり袋が首にぷらんとさがっていたっけ、とその友人の画家が苦・・・ 太宰治 「あさましきもの」
・・・妻の私に、思わず頭をさげるなど、ああ、夫も、くるしいのだろう、と思ったら、いじらしさに胸が一ぱいになり、とても洗濯をつづける事が出来なくて、立って私も夫の後を追って家へはいり、「暑かったでしょう? はだかになったら? けさ、お盆の特配で・・・ 太宰治 「おさん」
出典:青空文庫