・・・而して又連絡もなく、お前っちは字を読むだろう。と云って私の返事には頓着なく、ふむ読む、明盲の眼じゃ無えと思った。乙う小ましゃっくれてけっからあ。何をして居た、旧来は。 と厳重な調子で開き直って来た。私は、ヴォ・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・結城以後影を隠した徳用・堅削を再出して僅かに連絡を保たしめるほかには少しも本文に連鎖の無い独立した武勇談である。第九輯巻二十九の巻初に馬琴が特にこの京都の物語の決して無用にあらざるを強弁するは当時既に無用論があったものと見える。一体、親兵衛・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・ヤトナというのはいわば臨時雇で宴会や婚礼に出張する有芸仲居のことで、芸者の花代よりは随分安上りだから、けちくさい宴会からの需要が多く、おきんは芸者上りのヤトナ数人と連絡をとり、派出させて仲介の分をはねると相当な儲けになり、今では電話の一本も・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ ハナヤは豹吉やその仲間のいわば巣であり、ハナヤへ来れば、仲間の誰かが必ずトグロを巻いていて仲間の消息もきけるし、連絡も出来る。 ところが、仲間でも何でもない得体の知れぬ女が、毎日同じ時刻に、誰と会うわけでもなく、一人でトグロを巻き・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・汽船との連絡の待合室で顔を洗い、そこの畳を敷いた部屋にはいって朝の弁当をたべた。乗替えの奥羽線の出るのは九時だった。「それではいよいよ第一公式で繰りだしますか?」「まあ袴だけにしておこうよ。あまり改った風なぞして鉄道員に発見されて罰・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・ HとSとの連絡は始終断たれていた。 そこにパルチザンの巣窟があることは、それで、ほぼ想像がついた。 イイシへ守備中隊を出すのは、そこの連絡を十分にするがためであった。 吉永は、松木の寝台の上で私物を纏めていた。炊事場を引き・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・が仏教の輪廻説と混じて変形したものらしい。これは明治まで存し、今でも辺鄙には密に存するかも知れぬが、営業的なものである。但しこれには「げほう」が連絡している。忍術というのは明治になっては魔法妖術という意味に用いられたが、これは戦乱の世に敵状・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ある同志たちが長い間かゝって、この壁の打ち方から自分の名前を知らせあったり、用事を知らせあって連絡をとったときいたことがあるので、俺も色々と打ち方の調子をかえたり、間隔を置いたり、ちゞめたりしてやってみようとしたが、うまく行かなかった。・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・大衆的にやられている時に、遺族のものたちをバラ/\にして置いては悪いと云うので、即刻何処かの家を借りて、皆が集まり、お茶でも飲みながらお互いに元気をつけ合ったり、親密な気持を取り交わしたり、これからの連絡や対策や陳情、そういう事について話し・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・『富嶽の詩神を懐ふ』という一篇なぞは、矢張り、『蓬莱曲』の後に書いたものだが、よく読んで見ると、作と作との相連絡している処が解るように思う。一体北村君の書いたものは、死ぬ三四年前あたりから、急に光って来たような処があって、一呼吸にああいう処・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
出典:青空文庫