出典:gooニュース
米軍の魚雷に沈んだ富山丸、訃報に泣き叫ぶ母の声、道ばたの草でしのいだ戦後の生活…慰霊祭は亡き父と向き合う特別な日 毎年参列してきた遺族が、1000万円の寄付に込めた思いは…
保険会社の副社長だった正義さんは44年6月29日、亀徳沖約3キロを南下中、米潜水艦の魚雷攻撃を受け命を落とした。訃報を受け、母の冨美さん(故人)が押し入れの中に入り泣き叫んだ声が今も脳裏にこびりついている。 父の死後、毎日のように空襲に遭い、兵庫県から両親の実家のある香川県に疎開。実家は焼け、小学3年生の夏、戦争は終わった。
沈没から80年、鎮魂の祈り 鹿児島、魚雷受け3千人超犠牲
鹿児島県徳之島沖で1944年6月、米軍潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没した輸送船「富山丸」(7500トン級)の犠牲者を悼む慰霊祭が18日、同県瀬戸内町で行われ、遺族らが鎮魂の祈りをささげた。遺族を代表して出席した千葉県在住の杉田明傑さん(83)は「戦没者の犠牲の上にある今日の平和を生かすのが私たちの使命だ」と述べ、80年前の悲劇に決意を新たにした。
太平洋戦争中、米軍の魚雷攻撃で3700人が犠牲に…「富山丸」沈没80年、遺族高齢化で最後の海上慰霊祭 74人が献花、冥福祈る 徳之島沖
太平洋戦争中の1944年、鹿児島県徳之島町亀徳沖で米軍の魚雷攻撃を受け約3700人が犠牲となった輸送船「富山丸」の海上慰霊祭が17日、沈没海域であった。60年以上続いた慰霊祭は、遺族の高齢化などを理由に沈没80年の今年で最後。全国の遺族会から74人が駆け付け、海に眠る家族らに花を手向け、冥福を祈った。
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