出典:青空文庫
・・・をしている暇なんかもっていなかった。グラトコフは「セメント」を書いた。ヤーコヴレフは「十月」を。イワノフは「装甲列車」を。リベディンスキーは「一週間」を。ピリニャークは代表的な「裸の年」を書いたのである。 各作家めいめいが、めいめいの傾・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・彼女は昨今主としてチェホフの短篇の朗読者としてモスクワに暮している。彼女はピリニャークの家で酔って噪いだ。日本の作家がそれを見て幻滅した。然し私は知らない。自分で見ないうちは知らない。彼女がどんな彼女であるか。チェホフは人間の見えない三文文・・・ 宮本百合子 「シナーニ書店のベンチ」
・・・けれども、同時代の作家でたとえばピリニャークが、馬鈴薯の袋をかついで、鉄道の沿線を、あっちにゆきこっちにゆくうちに、蓄積された印象に文筆の表現を導かれはじめたのは偶然であったにちがいない。イヴァーノフが「装甲列車」を書いたのにも、積極的な意・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・その陰から立って挨拶したのは、その頃ピリニャークにくっついて歩いていた作家リージンとその妻であった。若い詩人夫妻の伴れがある。正直に云うと、自分はこの高いダブル・カラーをつけ、桃色の頬ぺたをして外国商館の番頭に似た作家を余りすいているとは云・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
・・・わきで、大きな体のピリニャークが、煙草をふかしながら、彼の作文「日本の印象記」の中から朗読すべき部分を選んでいる。 開会がおくれて、すんだのは夜の十二時頃だった。一服しようと云うことになって、食堂へゾロゾロ下りた。――地下室なのだ。・・・ 宮本百合子 「ソヴェト文壇の現状」
・・・ 例えば、日本にピリニャークが来た時代はソヴェト文壇はよい作品を書く作家と云えば、大体、同伴者或は鍛冶屋派の作家であった。ところが、最近文壇の指導勢力は最も社会主義的社会建設の為に、ハッキリした理解と協力し得る最左翼の芸術団体であるプロ・・・ 宮本百合子 「ソヴェト・ロシアの現状勢と芸術」
・・・ 私たちは少しずつソヴェト文壇の話や、日本の文学のこと、ピリニャークの書いた日本印象記についての不満足な感想等を下手なロシア語で話した。ゴーリキイは真面目な注意を傾けて云うことを聞き、フム、フムといい、短く分りやすい云い廻しで自分の意見・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイによって描かれた婦人」
・・・ 私たちは簡単にソヴェトの文学のこと、日本の文学のことなどを話し、私はピリニャークが日本にきて後かいた「日本印象記」のことについて短い感想を述べた。つまりピリニャークの文章は気取っていて面白いかも知れないが、日本という国の実際はあれには・・・ 宮本百合子 「私の会ったゴーリキイ」