出典:gooニュース
米国の原爆投下責任を問う 国際民衆法廷へ日韓、欧米の研究者ら討論
原爆投下の責任を問う民衆法廷としては、06年に広島市で開かれた「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」がある。当時の田中利幸・広島平和研究所教授や坪井直・県被団協理事長らが実行委の共同代表を務めた。2日間の審理の後、投下命令を出した当時のトルーマン大統領や米軍人ら計15人に対し、有罪の「判決」を言い渡した。
原爆投下翌日の長崎の惨状…旧日本軍カメラマン山端庸介撮影の写真、米国オークションで落札
米国のオークションで落札された写真の中に、原爆投下翌日の長崎の惨状を収めた23枚が含まれていた。撮影したのは、旧日本軍の報道カメラマンとして長崎市に入った山端庸介氏(故人)。これまで別の写真と思われていた2枚が、実際は1枚の写真からトリミングしたものだったことを示す写真も含まれており、写真を管理する長男の祥吾さん(77)は「貴重な発見」と評価する。
語り始めた92歳の被爆者 原爆投下から79年 封印した記憶 生き残った後ろめたさ「辛くてもいつかは伝えなければ」ウクライナ侵攻で決心
原爆投下から79年近く語ることのなかった記憶。一方で「当時を知る被爆者が伝えなければ」という思いも年々高まり、92歳で初めて証言者になりました。
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