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・・・ こういう不安と煩悶をいだきつつ、学校へ出ては発酵化学の実験をやり、バクテリヤの培養などをやっていた。そして夜は弟と二人で、よく寄席や芝居や活動を見に行って、やるせない心のさびしさを紛らせようとしていたらしい。胃の痛むのによく蕎麦や汁粉・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・また一方私はルクレチウスをかりて自分の年来培養して来た科学観のあるものを読者に押し売りしつつあるのではないかと反省してみなければならない。しかし私がもしそういう罪を犯す危険が少しもないくらいであったら、私はおそらくルクレチウスの一巻を塵溜の・・・ 寺田寅彦 「ルクレチウスと科学」
・・・もしこれらの雑草を特にかわいがって培養し教育して行ったら、何代かの後にはかえって現在の有用植物よりももっと有用なものができうる可能性はないものだろうか。 長い間人間の目の敵にされて虐待されながら頑強な抵抗力で生存を続けて来た猫草相撲取草・・・ 寺田寅彦 「路傍の草」
・・・以後向島居住の有志者は常に桜樹の培養を怠らず、時々これが補植をなし、永くこの堤上を以て都人観花の勝地たらしむべく、明治二十年に植桜之碑を建てて紀念となした。建碑について尽力した人の重なるものは、その時には既に世を去っていた成島柳北と今日なお・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・太十は朝まだ草葉の露のあるうちに灰を挂けて置いたりして培養に意を注いだ。やがて畑一杯に麦藁が敷かれた。蔓は其上を偃った。蔓の末端は斜に空を向いて快げである。繊巧な模様のような葉のところどころに黄色な花が小さく開く。淡緑色の小さな玉が幾つか麦・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・暗鬱な北国地方の、貧しい農家に生れて、教育もなく、奴隷のような環境に育った男は、軍隊において、彼の最大の名誉と自尊心とを培養された。軍律を厳守することでも、新兵を苛めることでも、田舎に帰って威張ることでも、すべてにおいて、原田重吉は模範的軍・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・即ち培養の厚薄良否に依るというも可なり。いわゆる教育なるものは則ち能力の培養にして、人始めて生まれ落ちしより成人に及ぶまで、父母の言行によって養われ、あるいは学校の教授によって導かれ、あるいは世の有様に誘われ、世俗の空気に暴されて、それ相応・・・ 福沢諭吉 「家庭習慣の教えを論ず」
・・・ 故に人間社会の事物今日の風にてあらん限りは、外面の体裁に文野の変遷こそあるべけれ、百千年の後に至るまでも一片の瘠我慢は立国の大本としてこれを重んじ、いよいよますますこれを培養してその原素の発達を助くること緊要なるべし。すなわち国家風教・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・そしたら、学術的に心持を培養する学理は解らんでも、その技術を獲ることは出来やせんか、と云うので、最初は方面を撰んで、実業が最も良かろうと見当を付けた。それで、実業家と成ろうと大分焦った。が併し私の露語を離れ離れにしては実業に入れぬから、露国・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・○くだものの大小 くだものは培養の如何によって大きくもなり小さくもなるが、違う種類の菓物で大小を比較して見ると、准くだものではあるが、西瓜が一番大きいであろう。一番小さいのは榎実位で鬼貫の句にも「木にも似ずさても小さき榎実かな」とある。・・・ 正岡子規 「くだもの」
出典:青空文庫