とく‐がく【督学】
1 学事を監督すること。また、その人。 2 明治5〜10年(1872〜77)文部省に置かれた督学局の職員。文部卿の指揮を受けた学事を監督した。
とく‐がく【篤学】
熱心に学問に励むこと。また、その人。「—の士」
とくがく‐かん【督学官】
大正2年(1913)視学官を改称して置かれた教育行政官。専門学務局または普通学務局に所属してその事務をとるとともに、学事の視察・監督を行った。昭和17年(1942)教学官と改称。
とくがわ【徳川】
姓氏の一。
江戸幕府の将軍家。もと三河賀茂郡松平郷の土豪で松平氏を称したが、家康のとき徳川と改称。 [補説]「徳川」姓の人物徳川家定(とくがわいえさだ)徳川家達(とくがわいえさと)徳川家重(...
とくがわきんれいこう【徳川禁令考】
明治時代、司法省によって編纂(へんさん)された江戸幕府の法令集。102巻。江戸時代の法制・政治・経済などを研究する上での重要史料。
とくがわ‐いえさだ【徳川家定】
[1824〜1858]江戸幕府第13代将軍。在職1853〜1858。家慶の四男。生来病弱のため、政治は老中に一任。後嗣がなく、将軍継嗣問題が起きた。
とくがわ‐いえさと【徳川家達】
[1863〜1940]政治家。田安慶頼の三男。幼名、亀之助。明治元年(1868)徳川宗家を相続。同23年、貴族院議員となり、以後、貴族院議長・日本赤十字社社長などを歴任、ワシントン軍縮会議の全権...
とくがわ‐いえしげ【徳川家重】
[1712〜1761]江戸幕府第9代将軍。在職1745〜1760。吉宗の長男。生来病弱のため政務に耐えられず、側用人大岡忠光が権勢を振るった。
とくがわ‐いえつぐ【徳川家継】
[1709〜1716]江戸幕府第7代将軍。在職1713〜1716。家宣の四男。4歳で家督を相続。間部詮房(まなべあきふさ)・新井白石の補佐により、幕府刷新が行われた。
とくがわ‐いえつな【徳川家綱】
[1641〜1680]江戸幕府第4代将軍。在職1651〜1680。家光の長男。生来病弱のため、治政初期は保科正之・松平信綱らの老中が補佐し、後半は大老酒井忠清が実権を握った。