あとみ‐かけい【跡見花蹊】
[1840〜1926]女流教育家。大阪の生まれ。名は滝野。父の私塾を継ぎ、また京都に開塾。のち東京に移って、明治8年(1875)跡見学校(現在の跡見学園女子大学など)を創立。
けい【蹊】
こみち。小径。
せい‐けい【成蹊】
《「史記」李広伝賛から》徳のある人の所には、だまっていても人が集まることのたとえ。→桃李(とうり)もの言わざれども下(した)自(おのずか)ら蹊(みち)を成す
そ‐けい【鼠蹊/鼠径】
腹部と接する下肢の内側。もものつけね。鼠蹊部。
ばん‐こうけい【伴蒿蹊】
[1733〜1806]江戸中・後期の国学者・歌人。京都の人。本名、資芳。別号、閑田子(かんでんし)。荷田春満(かだのあずままろ)に私淑。著「国歌或問」「近世畸人伝」「閑田耕筆」など。