あらい‐あ・げる【洗い上げる】
[動ガ下一][文]あらひあ・ぐ[ガ下二] 1 洗いおわる。「山のような洗濯物を—・げる」 2 十分に洗う。洗い立てる。「まっ白に—・げる」 3 残すところなくすっかり調べ上げる。「容疑者の身元を...
あらい‐だ・す【洗い出す】
[動サ五(四)] 1 洗って、余分な土や汚れを取り去り、模様などが現れるようにする。「土器の文様を—・す」 2 詳しく調べあげて、事実を明らかにする。「問題点を—・す」「容疑者の行動を—・す」 ...
いし‐だき【石抱き】
江戸時代の拷問(ごうもん)の一。三角状の木を並べた台に容疑者を座らせ、そのひざに平たい石を積み重ねて自白を強要したもの。そろばん責め。いしだかせ。
いん‐ち【引致】
[名](スル)引っ張って行くこと。連れて行くこと。特に、逮捕状・勾引(こういん)状などによって容疑者・被告人を強制的に一定の場所や機関のもとへ連行すること。「殺人事件の容疑者として—する」
うすま・る【薄まる】
[動ラ五(四)]薄い状態になる。濃度が落ちる。「香りが—・る」「容疑が—・る」
相対する
1〔お互いに向かい合う〕face each other; be [stand] opposite ((to))港は二つの相対した岬に抱かれているThe harbor is embraced by...
合う
1〔適合する〕fit, suit, be suited ((to));〔似合う〕become ((a person));〔調和する〕match, go well withこの服は私に合わない〔サ...
飽く無き
〔満足することのない〕insatiable;〔粘り強い〕persistent飽くなき野望insatiable ambition取り調べ官の飽くなき追及についに容疑者は口を割ったAs a resu...
足取り
I〔歩き方〕a step, a gait;〔大股の〕a stride;〔歩調〕a pace重々しい[軽い]足取りで歩くwalk with a heavy [light] step彼女はしっかりし...
浴びせる
I1〔注ぎ掛ける〕pour ((water)) on [over]; douse ((with water))2〔体じゅうに受けさせる〕彼は相手にパンチを浴びせたHe showered punc...
けんぎ【嫌疑】
[共通する意味] ★悪いことをした疑いのあること。[英] suspicion[使い方]〔容疑〕▽窃盗の容疑を受ける▽容疑を晴らす▽容疑者〔嫌疑〕▽嫌疑をかけられる[使い分け] 「容疑」は、特に犯...
ようぎ【容疑】
[共通する意味] ★悪いことをした疑いのあること。[英] suspicion[使い方]〔容疑〕▽窃盗の容疑を受ける▽容疑を晴らす▽容疑者〔嫌疑〕▽嫌疑をかけられる[使い分け] 「容疑」は、特に犯...
けんきょ【検挙】
[共通する意味] ★犯人や容疑者を捕らえる。[英] to arrest[使い方]〔逮捕〕スル▽こそ泥を現行犯で逮捕する▽逮捕状〔検挙〕スル▽容疑者を検挙する▽殺人容疑で検挙される〔挙げる〕(ガ下...
こういん【拘引】
[共通する意味] ★容疑者などを捕らえて連れて行くこと。[英] arrest[使い方]〔拘引〕スル▽容疑者を拘引する▽拘引状〔連行〕スル▽犯人を連行する▽警察へ連行された[使い分け]【1】「拘引...
たいほ【逮捕】
[共通する意味] ★犯人や容疑者を捕らえる。[英] to arrest[使い方]〔逮捕〕スル▽こそ泥を現行犯で逮捕する▽逮捕状〔検挙〕スル▽容疑者を検挙する▽殺人容疑で検挙される〔挙げる〕(ガ下...
おかだ‐よしこ【岡田嘉子】
[1902〜1992]女優。広島の生まれ。女子美術学校卒。新劇から映画界に入り、昭和13年(1938)演出家の杉本良吉とソ連に亡命。スパイ容疑をかけられるが、のちソ連市民権を得る。著作に「悔いな...
かめい‐ふみお【亀井文夫】
[1908〜1987]映画監督。福島の生まれ。昭和14年(1939)「戦ふ兵隊」が軍部の検閲により公開禁止となる。昭和16年(1941)には、治安維持法違反の容疑で逮捕、投獄された。戦後は反戦の...
きし‐のぶすけ【岸信介】
[1896〜1987]政治家。山口の生まれ。佐藤栄作の実兄。東条内閣の商工相。第二次大戦後、A級戦犯容疑者となるが不起訴。昭和32年(1957)首相となり、日米安保条約改定を強行し、辞職。→池田勇人
すぎもと‐りょうきち【杉本良吉】
[1907〜1939]演出家。東京の生まれ。本名、吉田好正。左翼劇場や新協劇団に参加し、プロレタリア演劇運動に従事。昭和13年(1938)岡田嘉子と樺太(からふと)からソ連へ越境したが、スパイ容...
ぜにや‐ごへえ【銭屋五兵衛】
[1774〜1852]江戸後期の豪商。加賀の人。海運業を営み、のち加賀藩の御用商人となって巨富を築いた。河北潟干拓事業に絡む容疑で獄死。