ひろ‐せ【広瀬】
幅の広い瀬。
ひろせ【広瀬】
姓氏の一。 [補説]「広瀬」姓の人物広瀬惟然(ひろせいぜん)広瀬旭荘(ひろせきょくそう)広瀬謙三(ひろせけんぞう)広瀬武夫(ひろせたけお)広瀬淡窓(ひろせたんそう)広瀬叔功(ひろせよしのり)
ひろせ‐がわ【広瀬川】
宮城県中西部を流れる川。山形県との県境の関山峠斜面に源を発し、東流して仙台市で名取川に合流する。長さ45キロ。200種類以上の野鳥が観察され、上流には作並温泉がある。
ひろせ‐けんぞう【広瀬謙三】
[1895〜1970]新聞記者・野球人。愛知の生まれ。国民新聞、時事新報などの運動部記者として、多くのスポーツ記事を執筆。昭和11年(1936)日本職業野球連盟結成後初の公式記録員となり、記録・...
ひろせ‐じんじゃ【広瀬神社】
奈良県北葛城郡河合町にある神社。旧官幣大社。祭神は広瀬神(若宇迦能売命(わかうかのめのみこと))ほか二神。五穀豊穣(ほうじょう)の守護神。
ひろせ‐いぜん【広瀬惟然】
[?〜1711]江戸前期の俳人。美濃の人。通称、源之丞。別号、素牛・鳥落人など。芭蕉の門人。師の没後、諸国を放浪。新奇軽妙な句風で口語調も試み、一茶らの先駆とされる。編著「藤の実」「二葉集」など。
ひろせ‐きょくそう【広瀬旭荘】
[1807〜1863]江戸末期の儒学者・漢詩人。豊後(ぶんご)の人。名は謙。淡窓の弟。兄を継いで咸宜園(かんぎえん)を経営。著「梅墩(ばいとん)詩鈔」。
ひろせ‐たけお【広瀬武夫】
[1868〜1904]軍人。海軍中佐。大分の生まれ。日露戦争中、旅順港閉鎖にあたり、自沈船の福井丸を指揮し、行方不明の杉野孫七兵曹長を退避の最後まで捜すうち、ボート上で被弾戦死。軍神とうたわれた。
ひろせ‐たんそう【広瀬淡窓】
[1782〜1856]江戸後期の儒学者。豊後(ぶんご)の人。名は建。字(あざな)は子基。別号、青渓など。咸宜園(かんぎえん)を開き、子弟を教育。大村益次郎・高野長英はその弟子。著「遠思楼詩鈔」「...