うき‐ごし【浮(き)腰】
1 重心が定まらない不安定な腰つき。へっぴり腰。「荷物の重さに—になる」 2 動揺したりして態度が落ち着かないこと。「強硬な反対にあって—になる」 3 柔道の技の一。相手を自分の後ろ腰に密着させ...
おんけん‐は【穏健派】
直面した問題を、強硬手段を用いず、穏やかに解決しようとする立場の人。⇔強硬派。
か‐そう【仮装】
[名](スル) 1 仮に他のものの姿をすること。それらしく見せかけること。「其(その)強硬な態度の何処かに何時でも—に近い弱点があるのを」〈漱石・道草〉 2 (1から)特に、余興や催し物などで扮...
カタレプシー【catalepsy】
受動的にとらされた姿勢を保ち続け、自分の意思で変えようとしない状態。統合失調症やヒステリーなどでみられる。蝋屈症。強硬症。
げんよう‐しゃ【玄洋社】
明治14年(1881)、頭山満(とうやまみつる)が中心となり結成した超国家主義団体。対外強硬策を主張した。昭和21年(1946)解散。
外交
1〔外国との関係〕diplomacy;〔政策〕(a) foreign policy;〔国交〕diplomatic relations外交の diplomatic外交上diplomatically...
がいこうの【外交の】
diplomatic外交上diplomatically秘密[武力]外交secret [armed] diplomacy対米外交(foreign) policy toward the U.S.強...
強硬
強硬な 〔頑固な〕strong;〔断固とした〕firm強硬な手段に訴えたHe took [resorted to] drastic [strong] measures.彼らはその提案に対して強硬...
きょうこうな【強硬な】
〔頑固な〕strong;〔断固とした〕firm強硬な手段に訴えたHe took [resorted to] drastic [strong] measures.彼らはその提案に対して強硬な態度...
硬化
I〔固くなること〕年を取ると血管が硬化するThe blood vessels harden with age.動脈硬化hardening of the arteries/〔医学用語〕arteri...
がんこ【頑固】
[共通する意味] ★自分の主張や意志、言い分などを曲げないさま。[英] obstinacy; stubbornness[使い方]〔頑固〕(名・形動)▽年をとってますます頑固になる▽頑固に昔からの...
きょうこう【強硬】
[共通する意味] ★自分の主張や意志、言い分などを曲げないさま。[英] obstinacy; stubbornness[使い方]〔頑固〕(名・形動)▽年をとってますます頑固になる▽頑固に昔からの...
たかは【たか派】
[共通する意味] ★力で主張をおし通そうとする考え方の人たち。[英] the hawks[使い方]〔たか派〕▽たか派は武力行使を主張している〔強硬派〕▽強硬派におしきられる形で議決された[使い分...
きょうこうは【強硬派】
[共通する意味] ★力で主張をおし通そうとする考え方の人たち。[英] the hawks[使い方]〔たか派〕▽たか派は武力行使を主張している〔強硬派〕▽強硬派におしきられる形で議決された[使い分...
きかんき【きかん気】
[共通する意味] ★負けまいとする性質。[英] unyielding[使い方]〔きかん気〕(名・形動)▽きかん気そうな子〔負けん気〕(名・形動)▽持ち前の負けん気で、苦手な科目を克服した▽負けん...
あべ‐しんぞう【安倍晋三】
[1954〜2022]政治家。東京の生まれ。父は元外相晋太郎、母方の祖父は元首相岸信介。父の死後、山口の地盤を継いで平成5年(1993)衆議院議員に当選。小泉政権時の平成15年(2003)に自由...
うえはら‐ゆうさく【上原勇作】
[1856〜1933]元帥・陸軍大将。宮崎の生まれ。第二次西園寺(さいおんじ)内閣の陸軍大臣として、2個師団増設を強硬に要求して単独辞職、大正政変のきっかけをつくった。
ウォーレス【Henry Agard Wallace】
[1888〜1965]米国の政治家。F=ルーズベルト大統領のブレーンとして、副大統領・商務長官などを歴任。第二次大戦後、トルーマン大統領の対ソ強硬策に反対し、第三党の進歩党を結成して大統領選に立...
うちだ‐こうさい【内田康哉】
[1865〜1936]外交官・政治家。熊本の生まれ。明治末から五度外相を務めた。満州事変後、満鉄総裁、斎藤内閣の外相となり、幣原(しではら)協調外交に対して、焦土外交とよばれる強硬な外交政策を推...
オルコック【Sir Rutherford Alcock】
[1809〜1897]英国の外交官。中国滞在ののち、安政6年(1859)駐日総領事として赴任、のち公使。通商の拡大を目ざして強硬な政策を推進したが、下関砲撃事件後、本国に召還された。著「大君の都」。