ごとう‐けいた【五島慶太】
[1882〜1959]実業家。長野の生まれ。旧姓、小林。農商務省、鉄道院を経て東京近郊の私鉄の経営に転じ、東京急行電鉄を設立。東急グループを創始した。東条内閣では運輸通信大臣。
ごとうけ‐ぼり【後藤家彫】
後藤祐乗(ゆうじょう)を祖とする後藤家の金工が彫った装剣金具。将軍家・諸大名の正式の拵(こしら)えに用いられた。後藤物。家彫(いえぼり)。後藤彫。
ごとう‐こんざん【後藤艮山】
[1659〜1733]江戸中期の医師。江戸の人。名は達。別号は養庵。父の郷里の京都に帰って開業。多くの門人を育て、古医方の祖とされる。当時の医師の常識を破り、僧形をせずに平服をつけた。
ごとう‐し【五島市】
⇒五島
ごとう‐しざん【後藤芝山】
[1721〜1782]江戸中期の儒学者。讃岐(さぬき)の人。名は世鈞。高松藩主の侍講となり、藩校の講道館を設立。四書五経に施した訓点は、後藤点として知られる。著「元明史略」など。
ごとう‐しゃく【五等爵】
⇒五爵(ごしゃく)
ご‐とうしょ【御当所】
「御当地」に同じ。
ごとう‐しょうじろう【後藤象二郎】
[1838〜1897]政治家。土佐の人。公武合体・大政奉還運動に活躍。明治維新後は新政府に仕えたが、征韓論に敗れて下野。板垣退助らとともに愛国公党を組織し、民撰議院設立建白書の提出に参画。のち、...
ごとうしょ‐ずもう【御当所相撲】
その力士の出身地で行われる場所相撲。
ごとう‐しんぺい【後藤新平】
[1857〜1929]政治家。岩手の生まれ。満鉄初代総裁となり、植民地経営に活躍。逓信・内務・外務各大臣、東京市長などを歴任。また、関東大震災直後の東京の復興と、日ソ国交回復に尽力した。