にょほう‐きょう【如法経】
《「にょほうぎょう」とも》一定の法式に従って経文を筆写すること。また、その筆写した経文。多くは法華経についていう。如法写経。
にょ‐ぼさつ【如菩薩】
菩薩のように、気高く柔和なこと。「外面(げめん)—、内心如夜叉(にょやしゃ)」
にょ‐むげんほうよう【如夢幻泡影】
仏語。この世のことはすべて、ゆめ・まぼろし・あわ・かげのようで、実体がなく空であるということ。無常のたとえ。如夢幻泡。如夢幻。
にょ‐やしゃ【如夜叉】
夜叉のように恐ろしい心をもっていること。
にょ‐らい【如来】
《(梵)Tathāgataの訳》真理に到達した人。仏陀をいう。仏の十号の一。「釈迦(しゃか)—」 [補説]如(真理)より生来したもの、と解しての訳。
如来(にょらい)掛(か)けて
如来様に誓って。仏に誓って。神掛けて。「微塵(みぢん)も愛着残らぬと、—の母が言ひ分」〈浄・油地獄〉
にょらい‐しん【如来身】
仏徳が円満に備わった如来の体。仏身。
にょらい‐じゅうごう【如来十号】
⇒十号
にょらい‐ぞう【如来蔵】
凡夫の心のうちに存在している、如来(仏)になりうる可能性。煩悩に覆い隠されている、本来清浄な悟りの本性。
にょらい‐はだ【如来肌】
1 肉づきがよく滑らかで温かい肌。「端傾城—とや申すらん/正察」〈六日飛脚〉 2 人の体温で温められていること。「きやつが寝たあとを探ってみたれば、—な程に、遠くへは行くまい」〈虎明狂・磁石〉