スロバキア東部の工業都市。首都ブラチスラバに次ぐ同国第2の規模をもつ。コシツェ盆地に位置し、ホルナート川に沿う。14世紀から15世紀にかけて、ハンガリー王国のもと、交易、金細工、織物業などで栄えた。1920年のトリアノン条約でチェコスロバキア領になり、1938年のウィーン裁定によりハンガリーに割譲されたが第二次大戦後に再びチェコスロバキア領となった。大戦末期にベネシュ大統領が臨時政府を建て、戦後の社会主義政権の指針となった「コシツェ綱領」を発表したことで知られる。同国最大の教会建築、聖アルジュベティ大聖堂がある。