出典:青空文庫
・・・ッぱりした和服のほうがよさそうに思われるけれども、あいにくと二人とも一度は洋行なるものをして、二人とも横文字が読めて、一方はボルテーヤとか、ルーソーとか、一方はラファエルとかなんとか、もし新聞記者ならマコーレーをお題目としたことのある連中で・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・しかしその時代に教わった『論語』や『孟子』や、マコーレーの伝記物や、勝手に読んだ色々な外国文学などを想い出して点検してみても、なるほどそれらから受けた影響もかなり多く発見されはするが、どうもこれ程ぴったりはまるものは少ないような気がする。つ・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・当時マコーレーのクライヴ伝を講じていて、ブラックホールの惨劇が一同の記憶に新鮮であったのである。 酷寒の季節に酷暑に遭った例がある。高等学校時代のある冬休みに大牟田炭坑を見学に行った時のことである。冬服にメリヤスを重ね着した地上からの訪・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・その中で記憶に残っているものは、マコーレーのクライブの伝。パアレーの『万国史』。フランクリンの『自叙伝』。ゴールドスミスの『ウェークフィルドの牧師』。それからサー・ロジャス・デカバリイ。巴里屋根裏の学者の英訳本などである。中村敬宇先生が漢文・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・一例を挙ぐれば、マコーレーの文章などによくある in spite of の如きはそれだ。意味から云えば、二つとか、三つとか、もしくば四つとかで充分であるものを、音調の関係からもう一つ云い添えるということがある。併し意味は既に云い尽してあるし・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」