出典:青空文庫
・・・ヴィルドラックという人の持って来たマチスの画の話も出たよ。きょうの話はみんなよかった。それから先生の奥さんも、御飯を一緒に食べて行けと言ってしきりに勧めてくだすったが、僕は帰って来た。」 先輩の一言一行も忘れられないかのように、次郎はそ・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ピカソも、マチスも見方によっては一笑に付されることを実行している。私の、この頃描いた絵は実行でなく申し訳であったと思います。ぼくは長い長い手紙をかきたかったのだ。一分のスキもない手紙など『手紙が仲々出来ない』といったりしたことを千家君は誤解・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ 洋画を通じてルソーやマチスや、ドランやマルケーなどのようなフランス絵の影響がこっそり日本画の方へ入り込んでいるのを発見する。日本の芸術がフランスを一と廻わりして後にもう一遍日本へ帰って来たのである。 洋画でも日本画でも人物の顔をな・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・ 情婦ジェニーが市松模様のガラス窓にもたれて歌うところがちょっと、マチスの絵を見るような感じである。 乞食頭のピーチャムのする芝居にはどうも少ししっくりしないわざとらしさを感じる。 この映画の前半はいかにも昔のロンドンのような気・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ フランス人は頭のいい人種である。マチスを生みドビュシーを生んだこの国はやがて映画の上にも新鮮な何物かを生み出しそうな気がする。アヴァンガルドというのは未見であるが、ともかくもわれわれはフランス映画の将来にある期待をかけてもいいように思・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・芸術のほうでもマチスの絵やマイヨールの彫刻にはどこかにわれわれの俳諧がある。これがドイツへはいると、たちまちに器械化数学化した鉄筋式リアリズムになるのが妙である。 ヒアガルの絵のように一幅の画面に一見ほとんど雑然といろいろなものを気違い・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・ 万葉集の立派な写本は宮内府図書寮とかにあってお歌所の長である佐佐木信綱博士しか見られないものだったそうだ。マチスやユトリロの名画は、日ごろは特定の個人に秘蔵されていて、盗まれ横領にあった騒ぎではじめてわれわれ人民の耳目にふれて来る。旧・・・ 宮本百合子 「国宝」
・・・又、今日は哀愁の満ちたベルレーヌの詩をよみルドン、マチス、クリムトの絵を見る。実に近代の心、思いが犇々と胸に来る。哀訴や、敏感や、細胞の憂愁は全く都会人、文明人の特質で古代の知らない病であると云うかもしれない。・・・ 宮本百合子 「初夏(一九二二年)」
・・・感覚の新しさはマチスに見せてもびっくりするであろう。十一世紀の日本の作品とは信じまい。その清少納言という人は誰だったろうか、そして、どうなって一生を終ったかということも判らない。文学の歴史の中にさえ普通の個人の婦人の生活は残っていない。その・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・ピカソとマチスを並べてみてある共通性があるとしても、それぞれ独自の世界であり、ルオーのグロテスクは武者小路実篤にわかると思われていても数百万の勤労者に分らないのが自然である。美術品も商品である。これが資本主義社会での美術である。画商の存在の・・・ 宮本百合子 「ディフォーメイションへの疑問」