出典:青空文庫
・・・二葉亭の頭と技術とを以て思う存分に筆を揮ったなら日本のデュマやユーゴーとなるのは決して困難でなかったろう。が、芸術となると二葉亭はこの国士的性格を離れ燕趙悲歌的傾向を忘れて、天下国家的構想には少しも興味を持たないでやはり市井情事のデリケート・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・一つは憲法発布が約束されて政治が休息期に入ったからだが、一つは当時の欧化熱が文芸を尊重する欧米の空気を注入して、政治家もまた靖献遺言的志士形気を脱してジスレリーやグラッドストーン、リットンやユーゴーらの操觚者と政治家とを一身に兼ぬる文明的典・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・人の話に依りますと、ユーゴー、バルザックほどの大家でも、すべて女性の保護と慰藉のおかげで、数多い傑作をものしたのだそうです。私も貴下を、及ばずながらお助けする事に覚悟をきめました。どうか、しっかりやって下さい。時々お手紙を差し上げます。貴下・・・ 太宰治 「恥」
・・・三十四歳で死したるかれには、大作家五十歳六十歳のあの傍若無人のマンネリズムの堆積が、無かったので、人は、かれの、ユーゴー、バルザックにも劣らぬ巨匠たる貫禄を見失い、或る勇猛果敢の日本の男は、かれをカナリヤとさえ呼んでいた。 淀野隆三訳、・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
・・・やユーゴーの「レ・ミゼラブル」の英語の抄訳本などをおぼつかない語学の力で拾い読みをしていた。高等学校へはいってから夏目漱石先生に「オピアム・イーター」「サイラス・マーナー」「オセロ」を、それもただ部分的に教わっただけである。そのころから漱石・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・特別の祭日でなくてはこの鐘はほんとうには撞かぬそうです。ユーゴーの小説の種にしたギリシア文字のらく書きはほんとうにあるかときいてみましたら、「今はもうありません。あなたもカジモドの話を御存じですね」といって、青い顔をして笑いました。 も・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
ユーゴーは『哀史』の一節にウォータールーの戦いを叙してこう云っている。「もし一八一五年六月十七日の晩に雨が降らなかったら、ヨーロッパの未来は変っただろう」と。雨が降って地面が柔らかくなり、ナポレオンが力と頼む砲兵の活動に不・・・ 寺田寅彦 「戦争と気象学」
・・・でよびさまされた自分の中のあるものがユーゴーの「ミゼラブル」でいっそう強くあおり立てられたようである。当時まだ翻訳は無かったように思うが、自分の見たのは英訳の抄訳本でただ物語の筋だけのものであった。そうして当時の自分の英語の力では筋だけを了・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・文学は文学であることを忘られない作家の一人であるらしくみえます。ユーゴーその他の作品はずっと昔に読んだけれど、今読めばまた今の判断があるでしょう。けれども、今の私は当分現代に近い小説をドシドシ読んでもらって、小説ひでりを医したいと思っていま・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ルジョア作家のある種の老大家や所謂有名な文筆家の中にも、年をとるにつれて小説がつまらなくなって来た、読めるような小説はこの頃一つもないではないか、子供欺しだ、といって、それに較べると、とシェクスピアやユーゴーの偉大さを賞める人もよくある。今・・・ 宮本百合子 「問に答えて」