出典:青空文庫
・・・おげんはまだ心も柔く物にも感じ易い若い娘の頃に馬琴の小説本で読み、北斎のさしえで見た伏姫の物語の記憶を辿って、それをあの奥様に結びつけて想像して見た。この想像から、おげんはいいあらわし難い恐怖を誘われた。「小山さん、弟さんですよ」 ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ 北斎の描いたという珍しい美人画がある。その襟がたぶん緋鹿の子か何かであろう、恐ろしくぎざぎざした縮れた線で描かれている。それで写実的な感じはするかもしれないが、線の交響楽として見た時に、肝心の第一ヴァイオリンがギーギーきしっているよう・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
・・・エイゼンシュテインは特に写楽のポートレートを抽出して、強調された顔の道具の相剋的モンタージュを論じているが、われわれは広重でも北斎でも歌麿でもそれぞれに特有な取り合わせの手法を認めることができるであろう。樽の中から富士を見せたり、大木の向こ・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・また広重をして新東京百景や隅田川新鉄橋めぐりを作らせるのも妙であろうし、北斎をして日本アルプス風景や現代世相のページェントを映出させるのもおもしろいであろう。そうしてこれらの新日本映画が逆にちょうど江戸時代の浮世絵のごとく、欧米に輸出される・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・今にドイツとか米国とかでだれかが歌麿や北斎を発見したように灸治法の発見をして大論文でも書くようになれば日本でも灸治研究が流行をきたすかもしれないと思われる。 前項「灸治」について高松高等商業学校の大泉行雄氏から書信で、九州福岡の・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ このあたりの景色北斎が道中画譜をそのままなり。興津を過ぐる頃は雨となりたれば富士も三保も見えず、真青なる海に白浪風に騒ぎ漁る船の影も見えず、磯辺の砂雨にぬれてうるわしく、先手の隧道もまた画中のものなり。 此処小駅ながら近来海水浴場・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・ 私は鳥羽僧正の戯画を見る時に、そこに描かれた動物の群から人間の痴愚をさしつけれれる。北斎漫画を見る時に封建時代の社会の不思議な心理を教えられる。ホガースやドーミエーからは享楽の影に潜む恐ろしさを味わわされる。ハインリヒ・クライの怪奇画・・・ 寺田寅彦 「漫画と科学」
・・・馬琴北斎もこの置炬燵の火の消えかかった果敢なさを知っていたであろう。京伝一九春水種彦を始めとして、魯文黙阿弥に至るまで、少くとも日本文化の過去の誇りを残した人々は、皆おのれと同じようなこの日本の家の寒さを知っていたのだ。しかして彼らはこの寒・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・和十は河東節の太夫、良斎は落語家、北渓は狩野家から出て北斎門に入った浮世絵師、竹内は医師、三竺、喜斎は按摩である。 竜池は祝儀の金を奉書に裹み、水引を掛けて、大三方に堆く積み上げて出させた。 竜池は涓滴の量だになかった。杯は手に取っ・・・ 森鴎外 「細木香以」