出典:青空文庫
仰臥漫録 何度読んでもおもしろく、読めば読むほどおもしろさのしみ出して来るものは夏目先生の「修善寺日記」と子規の「仰臥漫録」とである。いかなる戯曲や小説にも到底見いだされないおもしろみがある。なぜこれほどお・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
明治三十二年に東京へ出て来たときに夏目先生の紹介ではじめて正岡子規の家へ遊びに行った。それとほとんど同時に『ホトトギス』という雑誌の予約購読者になったのであったが、あの頃の『ホトトギス』はあの頃の自分にとっては実にこの上も・・・ 寺田寅彦 「明治三十二年頃」
・・・においていわゆる連作の最始のものとして引用されている子規の十首、庭前の松に雨が降りかかるを見て作ったものを点検してみると、「松の葉」という言葉が六回、「松葉」が一つ、「葉」が七、「露」が九、「雨」が三、「玉」が六、「こぼれ」という三字が五回・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・ 根岸派の新俳句が流行し始めたのは丁度その時分の事で、わたくしは『日本』新聞に連載せられた子規の『俳諧大要』の切抜を帳面に張り込み、幾度となくこれを読み返して俳句を学んだ。 漢詩の作法は最初父に就いて学んだ。それから父の手紙を持って・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・その時は正岡子規といっしょであった。麩屋町の柊屋とか云う家へ着いて、子規と共に京都の夜を見物に出たとき、始めて余の目に映ったのは、この赤いぜんざいの大提灯である。この大提灯を見て、余は何故かこれが京都だなと感じたぎり、明治四十年の今日に至る・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
余は子規の描いた画をたった一枚持っている。亡友の記念だと思って長い間それを袋の中に入れてしまっておいた。年数の経つに伴れて、ある時はまるで袋の所在を忘れて打ち過ぎる事も多かった。近頃ふと思い出して、ああしておいては転宅の際などにどこへ・・・ 夏目漱石 「子規の画」
・・・(是 さて正岡子規君とは元からの友人であったので、私が倫敦に居る時、正岡に下宿で閉口した模様を手紙にかいて送ると、正岡はそれを『ホトトギス』に載せた。『ホトトギス』とは元から関係があったが、それが近因で、私が日本に帰った時編輯者の虚子か・・・ 夏目漱石 「処女作追懐談」
・・・あの早稲田の学生であって、子規や僕らの俳友の藤野古白は姿見橋――太田道灌の山吹の里の近所の――あたりの素人屋にいた。僕の馬場下の家とは近いものだから、おりおりやってきて熱烈な議論をやった。あの男は君も知っているだろう。精神錯乱で自殺してしま・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
正岡の食意地の張った話か。ハヽヽヽ。そうだなあ。なんでも僕が松山に居た時分、子規は支那から帰って来て僕のところへ遣って来た。自分のうちへ行くのかと思ったら、自分のうちへも行かず親族のうちへも行かず、此処に居るのだという。僕・・・ 夏目漱石 「正岡子規」
・・・しかして我輩は子規の病気を慰めんがためにこの日記をかきつつある。四月二十六日。 夏目漱石 「倫敦消息」