出典:青空文庫
・・・ 寒月の名は西鶴の発見者及び元禄文学の復興者として夙に知られていたが、近時は画名が段々高くなって、新富町の焼けた竹葉の本店には襖から袋戸や扁額までも寒月ずくめの寒月の間というのが出来た位である。寒月の放胆無礙な画風は先人椿岳の衣鉢を承け・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・二葉亭が遊戯分子というは西鶴や其蹟、三馬や京伝の文学ばかりを指すのではない、支那の屈原や司馬長卿、降って六朝は本より唐宋以下の内容の空虚な、貧弱な、美くしい文字ばかりを聯べた文学に慊らなかった。それ故に外国文学に対してもまた、十分渠らの文学・・・ 内田魯庵 「二葉亭四迷」
・・・面白ずくに三馬や京伝や其磧や西鶴を偉人のように持上げても、内心ではこの輩が堂々たる国学または儒林の先賢と肩を列べる資格があるとは少しも思っていなかった。渠らの人物がどうのこうのというよりはドダイ小説や戯曲を尊重する気がしなかった。坪内逍遥や・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・しかし、現在書かれている肉体描写の文学は、西鶴の好色物が武家、僧侶、貴族階級の中世思想に反抗して興った新しい町人階級の人間讃歌であった如く、封建思想が道学者的偏見を有力な味方として人間にかぶせていた偽善のヴェールをひきさく反抗のメスの文学で・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・しあれでもないよ、どうも競馬を本当に描写した文学はないね、競馬は女より面白いのにね、僕は競馬場へ女を連れて来る奴の気が知れんのだ、競馬があれば僕はもう女はいらんね、その証拠に僕はいまだに独身だからね、西鶴の五人女に「乗り掛ったる馬」という言・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・しかし、これでは西鶴の一代女の模倣に過ぎないと思いながら、阪口楼の前まで来た。阪口楼の玄関はまだ灯りがついていた。出て来た芸者が男衆らしい男と立ち話していたが、やがて二人肩を寄せて宗右衛門町の方へ折れて行った。そのあとに随いて行き乍ら、その・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ 西鶴を本当に読んだのは「夫婦善哉」を単行本にしてからである。私のスタイルが西鶴に似ている旨、その単行本を読んだある人に注意されて、かつて「雨」の形式で「一代男」をひそかに考えていたことはあるにせよ、意外かつ嬉しかった。その頃まだ「一代・・・ 織田作之助 「わが文学修業」
・・・最も写実的なる作家西鶴でさえ、かれの物語のあとさきに、安易の人生観を織り込むことを忘れない。野間清治氏の文章も、この伝統を受けついで居るかのように見える。小説家では、里見とん氏。中里介山氏。ともに教訓的なる点に於いて、純日本作家と呼ぶべきで・・・ 太宰治 「古典竜頭蛇尾」
・・・発して、近世では、メリメ、モオパスサン、ドオデエ、チェホフなんて、まあいろいろあるだろうが、日本では殊にこの技術が昔から発達していた国で、何々物語というもののほとんど全部がそれであったし、また近世では西鶴なんて大物も出て、明治では鴎外がうま・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・髪に用捨もなき事やといえば、吉三郎せつなく、わたくしは十六になりますといえば、お七わたくしも十六になりますといえば、吉三郎かさねて長老様がこわやという、おれも長老様はこわしという、西鶴あのころは、四十五歳か。一ばん、いいとしらしいな。「女形・・・ 太宰治 「春の盗賊」