出典:青空文庫
・・・始めはキリストの教えを通ってついには親鸞の門にはいった。最後にどこまで進んでいたかはわからないが、ただ彼の短い生涯が決してそれほど短いものでなかったという事だけは言えるように思う。 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・アウグスチヌスの自覚の哲学は、キリスト教的実在即ち歴史的実在を把握したとも考え得るが、中世哲学は宗教哲学であった。実在そのものを問題としたのではない。実在の考え方はギリシヤ的なるものを出なかった。中世哲学の実在はキリスト的・ギリシヤ的であっ・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・その意味に於て、ニイチェは正しく新時代のキリストである。耶蘇キリストは、万人の罪を一人で背負ひ、罪なくして十字架の上に死んだ。フリドリヒ・ニイチェもまた、近代知識人の苦悩を一人で背負つて、十字架の上に死んだ受難者である。耶蘇と同じく、ニイチ・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・摂理なる観念は敢てキリスト教に限らずこれ一般宗教通有のものでありますがその解釈を誤ること我が神学博士のごときもの孰れの宗教に於ても又実に多々あるのであります。今一度博士の所説を繰り返すならば私は筆記して置きましたが、読んで見ます、その中の出・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ ヨーロッパの社会でも、女らしさというものの観念はやはり日本と似たりよったりの社会の歴史のうちに発生していて、あちらでは仏教儒教の代りにキリスト教が相当に女の天真爛漫を傷つけた。原始キリスト教では、キリスト復活の第一の姿をマリアが見たと・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・南ドイツであったかある地方に毎年キリスト受難劇が行われる習慣があり、その年主役キリストを演じる農民の写真が当時の新聞にのった。世間で偉いと思われている人物とそっくりの顔立ちに生れついているなどという偶然は、ある種の人間にとって、何と皮肉で腹・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第三巻)」
・・・ 作者が独立教会からも脱退し、キリスト教信者の生活、習俗に対して深い反撥を感じていた時、「或る女」が着想されたことは私どもにとって興味がある。作者は葉子を環境の犠牲と観た。日清戦争の日本に於けるブルジョア文化の一形態であったキリスト教婦・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
・・・そういう民衆にとっては、キリストの十字架の物語は、決して理解し難いものではなかったであろう。 民衆のなかに右のような思想が動いていたとして、次に第二に、新興武士階級においてはどうであったであろうか。 新興武士階級も武力をもって権・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・八世紀の偶像破壊運動は、キリスト教の聖者像をさえも寛容しようとしないものであった。 やがて新しい時代が来た。地を掘る反キリストの徒は穴の底から歓喜にふるえる声で「偶像、偶像」と呼んだ。古代の赤煉瓦の壁の間に女神の白い裸身は死骸のごとく横・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
・・・もしそれが、ローマを襲ったキリスト教のように、単にただ純然たる宗教であったならば、あれほど激烈にわが国の文化全体を動かし得たかどうかは疑わしい。我らの祖先は当時なお、一つの偉大な宗教をただ宗教として、あるいは一つの偉大な思想をただ思想として・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」