出典:青空文庫
・・・――ミュッセ。――なんとかして、記憶の蔓をたどっていって、その人の肖像に行きつき、あッ、そうか、あれか、と腹に落ち込ませたく、身悶えをして努めるのだが、だめである。その人が、どこの国の人で、いつごろの人か、そんなことは、いまは思い出せなくて・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・却ってミュッセ、ドーデー、あの辺の作家をひそかに愛読しております。ロシアではトルストイ、ドストイエフスキーなど、やはりみな、それに感心しなければ、文人の資格に欠けるというようなことが常識になっていて、それは確かにそういうものなのでしょうけれ・・・ 太宰治 「わが半生を語る」
・・・幾世紀の洗練を経たる Alexandrine 十二音の詩句を以て、自在にミュッセをして巴里娘の踊の裾を歌わしめよ。われにはまた来歴ある一中節の『黒髪』がある。黄楊の小櫛という単語さえもがわれわれの情緒を動かすにどれだけ強い力があるか。其処へ・・・ 永井荷風 「妾宅」
哀愁の詩人ミュッセが小曲の中に、青春の希望元気と共に銷磨し尽した時この憂悶を慰撫するもの音楽と美姫との外はない。曾てわかき日に一たび聴いたことのある幽婉なる歌曲に重ねて耳を傾ける時ほどうれしいものはない、と云うような意を述・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
・・・オタンチン・パレオロガスというユーモラスな表現が女の知性の暗さに与えられているばかりか、ミュッセの詩の引用にしろ、タマス・ナッシの論文朗読の場面にしろ、女は厄介なもの、度しがたきものと観る漱石の心持は、まざまざと反映している。「猫」のなかで・・・ 宮本百合子 「漱石の「行人」について」