出典:青空文庫
・・・ 伊藤は牙籌一方の人物で、眼に一丁字なく、かつて応挙の王昭君の幅を見て、「椿岳、これは八百屋お七か」と訊いたという奇抜な逸事を残したほどの無風流漢であった。随って商売上武家と交渉するには多才多芸な椿岳の斡旋を必要としたので、八面玲瓏の椿・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・しかるにまた大多数の人はそれでは律義過ぎて面白くないから、コケが東西南北の水転にあたるように、雪舟くさいものにも眼を遣れば応挙くさいものにも手を出す、歌麿がかったものにも色気を出す、大雅堂や竹田ばたけにも鍬を入れたがる、運が好ければ韓幹の馬・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・ 四「京師に応挙という画人あり。生まれは丹波の笹山の者なり。京にいでて一風の画を描出す。唐画にもあらず。和風にもあらず。自己の工夫にて。新裳を出しければ。京じゅう妙手として。皆まねをして。はなはだ流行せり。今に至りてはそ・・・ 寺田寅彦 「人の言葉――自分の言葉」
・・・もし彼をして力を俳画に伸ばさしめば日本画の上に一生面を開き得たるべく、応挙輩をして名をほしいままにせしめざりしものを、彼はそれをも得なさざりき。余は日本の美術文学のために惜しむ。 春風馬堤曲とは俳句やら漢詩やら何やら交ぜこぜにものしたる・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」