出典:青空文庫
・・・光琳歌麿写楽のごとき、また芭蕉西鶴蕪村のごときがそれである。彼らを昭和年代の今日に地下より呼び返してそれぞれ無声映画ならびに発声映画の脚色監督の任に当たらしめたならばどうであろう。おそらく彼らはアメリカ式もドイツふうも完全に消化した上で、新・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・この話は井原西鶴の俳諧大矢数の興行を思いださせる。 これらの根気くらべのような競技は、およそ無意味なようでもあるが、しかし人間の気力体力の可能限度に関する考査上のデータにはなりうるであろう。場合によってはある一人のこういう耐久力のいかん・・・ 寺田寅彦 「記録狂時代」
西鶴の作品についてはつい近年までわずかな知識さえも持合せなかった。ところが、二、三年前にある偶然な機会から、はじめて『日本永代蔵』を読まなければならない廻り合せになった。当時R研究所での仕事に聯関して金米糖の製法について色・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・しかし、たまには三原山記事を割愛したそのかわりに思い切って古事記か源氏物語か西鶴の一節でも掲載したほうがかえって清新の趣を添えることになるかもしれない。毎日繰り返される三原山型の記事にはとうの昔にかびがはえているが、たまに眼をさらす古典には・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・清少納言から西鶴を通じて現代へ流れて来ている一つの流れの途中の一つの淀みのようなものに過ぎないかもしれないが、しかし、兼好法師という人の頭がかなりこういう分析にかけて明晰であったこともたしかであろうと思われる。 迷信に関する第九十一段な・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・中西屋の店先にはその頃武蔵屋から発行した近松の浄瑠璃、西鶴の好色本が並べられてあったが、これも表紙を見ただけで買いはしなかった。わたくしが十六、七の時の読書の趣味は極めて低いものであった。 四カ月ほど小田原の病院にいる間読んだものは、ま・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・ 観潮楼の先生もかつて『染めちがえ』と題する短篇小説に、西鶴のような文章で浴衣と柳橋の女の恋を書かれた事があった。それをば正直正太夫という当時の批評家が得意の Calembour を用いて「先生の染めちがえは染ちがえなり。」と罵った事を・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・近松や西鶴が残した文章で、如何なる感情の激動をもいい尽し得るものと安心していた。音波の動揺、色彩の濃淡、空気の軽重、そんな事は少しも自分の神経を刺戟しなかった。そんな事は芸術の範囲に入るべきものとは少しも予想しなかった。日本は永久自分の住む・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・ 谷崎君は、さきに西鶴と元禄時代の文学を論じ、わたくしを以て紅葉先生と趣を同じくしている作家のように言われた。事の何たるを問わず自分の事をはっきり自分で判断することは至難である。谷崎君が批判の当れるや否やはこれを第三者に問うより外はない・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・人は『源氏物語』や近松や西鶴を挙げてわれらの過去を飾るに足る天才の発揮と見認めるかも知れないが、余には到底そんな己惚は起せない。 余が現在の頭を支配し余が将来の仕事に影響するものは残念ながら、わが祖先のもたらした過去でなくって、かえって・・・ 夏目漱石 「『東洋美術図譜』」