出典:gooニュース
平城京一等地の利用形態が変遷 4坪を一体化、藤原麻呂邸説も
平城宮直近の一等地で、通常の宅地とは違う利用形態に変化していたという。 同遺跡の南側で出土した「二条大路木簡」からこの遺跡内に、大貴族藤原麻呂(737年没)の邸宅があったとされるが、続日本紀に記された「宮南梨原宮」とする説もある。同遺跡中心部の発掘は初めて。二条大路を挟んで南側には長屋王邸があった。
新幹線駅近くの一等地に四半世紀にわたりぽっかり開いた”穴” 再開発担う会社は「今は構想を練る段階」と言うものの中心街は衰退の一途
かつての“浜松の顔”が更地のまま一方、中心街の一等地にありながら長年にわたって更地のままとなっているのが松菱百貨店の跡地だ。通りがかった高校生に百貨店があったことを知っていたかと訊ねると「百貨店?全然知らなかった」と驚きの表情を浮かべた。
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