・・・南田はこう言いながら、かつて見た沙磧図や富春巻が、髣髴と眼底に浮ぶような気がした。「さあ、それが見たと言って好いか、見ないと言って好いか、不思議なことになっているのですが、――」「見たと言って好いか、見ないと言って好いか、――」・・・ 芥川竜之介 「秋山図」
・・・薔薇と指環と夜鶯と三越の旗とは、刹那に眼底を払って消えてしまった。その代り間代、米代、電燈代、炭代、肴代、醤油代、新聞代、化粧代、電車賃――そのほかありとあらゆる生活費が、過去の苦しい経験と一しょに、恰も火取虫の火に集るごとく、お君さんの小・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・だから今、かりに自分の頭には灰色な、重苦しい感情しかないからといって、この気分で見るすべてのものが、今は、眼底に灰色なものとなってうつるからといって此の世界が灰色であり、此の人生が灰色でなければならぬと思うものは少なかろうと思う。 曾て・・・ 小川未明 「忘れられたる感情」
・・・このごとくほとんど毎晩お目にかかっているのだから、中倉君の眼底には、歴然と映刻せられておるだろうと思う。」「そして題して戦争論者とするがよかろう。」と自分が言う。「敗け戦の神と言うほうが適当だろう」と中倉先生はまた、自分が言わんと欲・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・しかし自分の眼底にはかの地の山岳、河流、渓谷、緑野、森林ことごとく鮮明に残っていて、わが故郷の風物よりも幾倍の色彩を放っている。なぜだろう?『月光をして汝の逍遙を照らさしめ』、自分は夜となく朝となく山となく野となくほとんど一年の歳月を逍・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・それからまた、眼底網膜の視像の持続性を利用するという点ではゾートロープやソーマトロープのようなおもちゃと似た点もあるが、しかしこれらのものと現在の映画――無声映画だけ考えても――との間の差別は単なる進化段階の差だけでなくてかなり本質的な差で・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・しかし実際非常に怖い思いをしたので、そのときに眼底に宿った海岸と海水浴場の光景がそのままに記憶の乾板に焼付けられたようになって今日まで残っているものと思われる。 それはとにかく、明治十四年頃にたとえ名前は「塩湯治」でも既に事実上の海水浴・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・とうとうつかまって顔といわず着物といわずべとべとの腐泥を塗られてげらげら笑っている三十男の意気地なさをまざまざと眼底に刻みつけられたのは、誠に得難い教訓であった。維新前の話であるが、通りがかりの武士が早乙女に泥を塗られたのを怒ってその場で相・・・ 寺田寅彦 「五月の唯物観」
・・・ これは眼底網膜の一部が偏光で照らされた時に生じる主観的生理的現象である。「幽霊」などと似たところもあるが、それよりはもう少し普遍的な存在である。 これとは全く縁のないことではあるが、時代思想の「かたより光線」で照らされた多数の人の・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・ 胃の腑の適当な充血と消化液の分泌、それから眼底網膜に映ずる適当な光像の刺激の系列、そんなものの複合作用から生じた一種特別な刺激が大脳に伝わって、そこでこうした特殊の幻覚を起こすのではないかと想像される。「胃の腑」と「詩」との間にはまだ・・・ 寺田寅彦 「詩と官能」
出典:青空文庫