・・・机の前には格子窓がある、――その窓から外を見ると、向うの玩具問屋の前に、半天着の男が自転車のタイアへ、ポンプの空気を押しこんでいた。何だかそれが洋一には、気忙しそうな気がして不快だった。と云ってまた下へ下りて行くのも、やはり気が進まなかった・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・幸い踏切りの柵の側に、荷をつけた自転車を止めているのは知り合いの肉屋の小僧だった。保吉は巻煙草を持った手に、後ろから小僧の肩を叩いた。「おい、どうしたんだい?」「轢かれたんです。今の上りに轢かれたんです。」 小僧は早口にこう云っ・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
・・・すると自転車に乗った男が一人まっすぐに向うから近づき出した。彼は焦茶いろの鳥打ち帽をかぶり、妙にじっと目を据えたまま、ハンドルの上へ身をかがめていた。僕はふと彼の顔に姉の夫の顔を感じ、彼の目の前へ来ないうちに横の小みちへはいることにした。し・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・ 中には荷車が迎に来る、自転車を引出すのもある。年寄には孫、女房にはその亭主が、どの店にも一人二人、人数が殖えるのは、よりよりに家から片附けに来る手伝、……とそればかりでは無い。思い思いに気の合ったのが、帰際の世間話、景気の沙汰が主なる・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・――日本橋の実家からは毎日のおやつと晩だけの御馳走は、重箱と盤台で、その日その日に、男衆が遠くを自転車で運ぶんです。が、さし身の角が寝たと言っては、料理番をけなしつけ、玉子焼の形が崩れたと言っては、客の食べ余を無礼だと、お姑に、重箱を足蹴に・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・ 曾て、市街公園の名称にて、新聞に報ぜられたと記憶するが、なんでも、ある一定の時間内だけ、その区域間の自動車、自転車の通行を禁じて、全く、児童等のために解放して、小さき者達の遊園とする、計画であったと思う。あの話は、その後何うなったので・・・ 小川未明 「児童の解放擁護」
・・・「遠いけど、自転車に乗ってゆけば、すぐだ。君、いっしょに遊びにおいでよ。」と、知らない子は、誘いました。正吉くんは、その子は、いい子だから、お友だちになりたかったのでした。「どうしようかな。」と、ボールを握って、考えていました。・・・ 小川未明 「少年と秋の日」
・・・ きた当座は、自転車に乗るけいこを付近の空き地にいって、することにしました。また、電話をかけることを習いました。まだ田舎にいて、経験がなかったからです。山本薪炭商の主人は、先生からきいたごとく、さすがに苦労をしてきた人だけあって、はじめ・・・ 小川未明 「空晴れて」
・・・ しかし、ものの二十間も行かぬうちに、案内すると見せかけた客引きは、押していた自転車に飛び乗って、「失礼しやして、お先にやらしていただきやんす。お部屋の用意をしてお待ち申しておりやんすによって、どうぞごゆるりお越し下されやんせッ」・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・鰻谷の汁屋の表に自転車を置いて汁を飲んで帰る。出入橋の金つばの立食いをする。かね又という牛めし屋へ「芋ぬき」というシュチューを食べに行く。かね又は新世界にも千日前にも松島にも福島にもあったが、全部行きました。が、こんな食気よりも私をひきつけ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
出典:青空文庫