くさ‐かい【草飼ひ】
《「くさがい」とも》馬に草を与えること。「馬の—、水便、共に良げなり。しばし降りゐて馬休めん」〈平家・七〉
くさかい‐どころ【草飼ひ所】
まぐさをとるために与えられた領地。「一所(いっしょ)賜はりて、馬の—をもし給へ」〈曽我・八〉
くさ‐かげ【草陰】
茂った草の陰。草むらの中。
くさかげ‐の【草陰の】
[枕]地名の「荒藺(あらゐ)」「安努(あの)」にかかる。「—荒藺の崎の笠島を」〈万・三一九二〉
くさかげのこみちにて【草陰の小径にて】
《原題、(チェコ)Po zarostlém chodníčku》ヤナーチェクのピアノ曲集。第1集は1901年から1908年にかけて作曲。第2集はのちに未発表作品を組み合わせて1942年に発表され...
くさか‐げんずい【久坂玄瑞】
[1840〜1864]幕末の長州藩士。名は通武。通称は義助。吉田松陰門下。尊王攘夷の急進派で、品川の英国公使館焼き討ち、下関外国艦船砲撃に参加。蛤御門(はまぐりごもん)の変で負傷し、自刃。
くさかべ‐の‐おうじ【草壁皇子】
[662〜689]天武天皇の皇子。母は持統天皇。文武(もんむ)・元正両天皇の父。壬申(じんしん)の乱には天武帝とともに戦い、皇太子に立てられたが、即位せずに死去。日並知皇子(ひなめしのみこ)。
くさかべ‐めいかく【日下部鳴鶴】
[1838〜1922]書家。滋賀の生まれ。名は東作。字(あざな)は子暘(しよう)。六朝(りくちょう)書道を学び、清国に渡って書学を研究。明治書道界の第一人者で、その書風は鳴鶴流とよばれた。