あさくさ‐ぶんこ【浅草文庫】
明治8年(1875)に浅草蔵前に設けられた官立の公開図書館。昌平坂学問所・和学講談所などの蔵書約11万冊を受け継いだもので、現在、その大部分は国立公文書館内閣文庫に保存。
江戸時代、浅草に居...
かん‐ぱん【官版/官板】
1 政府・官庁の出版物。⇔私版。 2 江戸時代、幕府の官学、昌平坂学問所で出版した教科書用の漢籍。
がくもんじょ‐きんばん【学問所勤番】
江戸幕府の職名。昌平坂学問所の事務をつかさどった。林大学頭(だいがくのかみ)の支配。寛政10年(1798)創設。
こうぶん‐かん【弘文館】
江戸初期の林家の家塾。寛永7年(1630)林羅山が江戸上野忍岡に創立。元禄3年(1690)5代将軍綱吉が湯島に移し、のち、昌平坂学問所となった。
しょうへい‐こう【昌平黌】
⇒昌平坂学問所
いちかわ‐かんさい【市河寛斎】
[1749〜1820]江戸後期の儒学者・漢詩人。上野(こうずけ)の人。名は世寧、字(あざな)は子静。昌平坂学問所に学び、富山藩校教授となった。著「日本詩紀」「全唐詩逸」など。
おおくに‐たかまさ【大国隆正】
[1793〜1871]江戸末期の国学者。石見(いわみ)の津和野藩士。江戸の生まれ。姓は今井、のち野之口。平田篤胤(ひらたあつたね)に国学、昌平坂学問所で古賀精里(こがせいり)に儒学を学んだ後、文...
こが‐せいり【古賀精里】
[1750〜1817]江戸後期の儒学者。肥前の人。名は樸(すなお)。字(あざな)は淳風。陽明学・朱子学を学び、藩校を経て昌平坂学問所教授となる。柴野栗山・尾藤二洲とともに、寛政の三助と称された。...
こが‐とうあん【古賀侗庵】
[1788〜1847]江戸後期の儒学者。肥前の人。精里の三男。名は煜。諸子百家に通じ、父とともに昌平坂学問所の教授を務めた。著「海防臆測」「劉子」など。
さとう‐いっさい【佐藤一斎】
[1772〜1859]江戸後期の儒学者。江戸の人。名は坦。中井竹山・林述斎に学び、林家の塾長、昌平坂学問所教授を歴任。門人から渡辺崋山・佐久間象山・中村正直らを出した。著「言志録」など。