かんせい【寛政】
江戸中期、光格天皇の時の年号。1789年1月25日〜1801年2月5日。
かんせい‐いがくのきん【寛政異学の禁】
寛政の改革の一政策。寛政2年(1790)幕府の学問所である昌平黌(しょうへいこう)で朱子学以外の学問を禁じ、官吏登用は朱子学を学んだ者のみとした。
かんせい‐の‐かいかく【寛政の改革】
天明7年(1787)から寛政5年(1793)にかけて、老中松平定信が行った幕政改革。享保の改革を理想として、倹約、備荒貯蓄の奨励、棄捐(きえん)令、人返し、異学の禁などの政策を遂行したが、景気が...
かんせい‐の‐さんきじん【寛政の三奇人】
寛政期、尊王・外交の問題に強い関心を示したあまり、奇行もあったという、林子平・高山彦九郎・蒲生君平(がもうくんぺい)の三人をさす。
かんせい‐の‐さんすけ【寛政の三助】
寛政期、代表的な朱子学者として古賀弥助(こがやすけ)(精里)・尾藤良佐(びとうりょうすけ)(二洲)・柴野彦輔(しばのひこすけ)(栗山)の三人をさす。古賀のかわりに岡田清助(寒泉)をさすこともある...
かんせい‐の‐さんちゅうしん【寛政の三忠臣】
江戸時代、寛政の改革に功労のあった三人の幕臣。老中の松平定信、若年寄の本多忠籌(ほんだただかず)、御側御用取次の加納久周(かのうひさちか)。
かんせい‐の‐さんはかせ【寛政の三博士】
⇒寛政の三助(さんすけ)
かんせい‐れき【寛政暦】
江戸時代、宝暦暦に代えて寛政10年(1798)から採用された太陰太陽暦。高橋至時(たかはしよしとき)らが編成したもので、天保13年(1842)まで45年間使用された。寛政戊午暦(ぼごれき)。