・・・ 譚はふだんのおしゃべりにも似ず、悠々と巻煙草に火をつけてから、あべこべに僕に問い返した。「きのう僕はそう言ったね、――あの桟橋の前の空き地で五人ばかり土匪の首を斬ったって?」「うん、それは覚えている。」「その仲間の頭目は黄・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・と、あべこべに医者をやりこめるのです。 さて明くる日になると約束通り、田舎者の権助は番頭と一しょにやって来ました。今日はさすがに権助も、初の御目見えだと思ったせいか、紋附の羽織を着ていますが、見た所はただの百姓と少しも違った容子はありま・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・君はデカルトが船の中で泥棒に遇った話を知っているかと、自分でも訳のわからない事をえらそうにしゃべったら、そんな事は知らないさと、あべこべに軽蔑された。大方僕が熱に浮かされているとでも思ったのだろう。このあとで僕の写真を見せたら、一体君の顔は・・・ 芥川竜之介 「田端日記」
・・・ところが烈しい格闘の末、あべこべに海へ抛りこまれた。守衛は濡れ鼠になりながら、やっと岸へ這い上った。が、勿論盗人の舟はその間にもう沖の闇へ姿を隠していたのである。「大浦と云う守衛ですがね。莫迦莫迦しい目に遇ったですよ。」 武官はパン・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・なあ、お香、いつぞや巡査がおまえをくれろと申し込んで来たときに、おれさえアイと合点すりゃ、あべこべに人をうらやましがらせてやられるところよ。しかもおまえが(生命という男だもの、どんなにおめでたかったかもしれやアしない。しかしどうもそれ随意に・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・「何だか、あべこべのような挨拶だな。」「いんね、全くいい事をなさせえました。」「いい事をなさいましたじゃないわ、おいたわしいじゃないの、女さんがさ。」「ご新姐、それがね、いや、この、からげ縄、畜生。」 そこで、踞んで、毛・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・予はお繁さんと岡村とあべこべなら面白いがな、惜しい事じゃと考えたのであった。 予は寝られないままに、当時の記憶を一々頭から呼び起して考える。其を思うとお繁さんの居ない今日、岡村に薄遇されたのに少しも無理はない。予も腹のどん底を白状すると・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・ところが私の精進はまたあべこべで世間と現実とを知っていくところにあった。そして『恥以上』という戯曲にまでそれが発展したのだ。これは私のエレメントである同じ宗教的情操の、世間にもまれた後の変容であって、私は『出家とその弟子』よりも進んでいると・・・ 倉田百三 「『出家とその弟子』の追憶」
・・・と、客と船頭が言うことがあべこべになりまして、吉は自分の思う方へ船をやりました。 吉は全敗に終らせたくない意地から、舟を今日までかかったことのない場処へ持って行って、「かし」を決めるのに慎重な態度を取りながら、やがて、 「旦那、・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・と鞠子は甘えた。 この光景を笑って眺めていた高瀬は自分の方へ来た鞠子に言った。「これ、悪戯しちゃ不可よ」「馬鹿、やい」と鞠子はあべこべに父を嘲った。――これが極く尋常なような調子で。 高瀬は歎息して奥へ行った。お島が茶を入れ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
出典:青空文庫