・・・すさんだ家庭に幼いから辛い目に会って来た肇はふっくりした、焼立てのカステーラみたいに香り高い甘味のある、たっぷりのうるおいがきめ毎にしみ込んで居る千世子の家の人達に交ると云う事はなぐさめともなり薬にもなった。 ホーム、スゥイート・ホーム・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
・・・日本の女は一寸した親切にもほだされるといわれているが、女に対する劬りというものが、欠けている日本の習俗の中では、外国人の男のそういう礼の表面的な、或る場合偽善的な謂わば折りかがみさえ、感情の上に何かの甘味を落すのであろう。 映画や音楽で・・・ 宮本百合子 「日本の秋色」
いまはもう鹿児島県に入らない土地となった奄美大島の徳之島という島から十二歳の少女が収容船にのって国立癩療養所星塚敬愛園にはいって来た。十歳のとき発病して、小学校の尋常四年までしかいかなかった松山くにというその少女は、入園し・・・ 宮本百合子 「病菌とたたかう人々」
・・・しかし私達はその一匙の氷の中にいつかあった様な殺人甘味が入れられているとしたら、一匙の氷は、時にとっての清涼剤だとして安心していられるでしょうか。毎月見る婦人雑誌が、ただただシャボンの泡のきらめきの様なものだということに大した罪はないようだ・・・ 宮本百合子 「若人の要求」
・・・ 甘みは微かで、苦みの勝ったこの茶をも、花房は翁の微笑と共に味わって、それを埋合せにしていた。 或日こう云う対坐の時、花房が云った。「お父うさん。わたくしも大分理窟だけは覚えました。少しお手伝をしましょうか」「そうじゃろう。・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・また、藪の中の黄楊の木の胯に頬白の巣があって、幾つそこに縞の入った卵があるとか、合歓の花の咲く川端の窪んだ穴に、何寸ほどの鯰と鰻がいるとか、どこの桑の実には蟻がたかってどこの実よりも甘味いとか、どこの藪の幾本目の竹の節と、またそこから幾本目・・・ 横光利一 「洋灯」
・・・忘却の甘みに救われるような人間は、「生きた死骸」になるはずの頽廃者に過ぎなかった。潰滅よりもさらに烈しい苦痛を忍び、忘却が到底企て及ばざる突破の歓喜を追い求むる者こそ、真に生き真に成長する者と呼ばるべきであった。心が永遠の現在であり、意識の・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫