・・・それでも同情を持って来てくれた人たちであるから、案じたほどでなく、続いて来る様子に自分も安心して先頭を務めた。半数十頭を回向院の庭へ揃えた時はあたかも九時であった。負傷した人もできた。一回に恐れて逃げた人もできた。今一回は実に難事となった。・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・といいながらも一種の暗示を与えられてこれを迎えずにはいられなくなってしまった。坪内君の威力はエライものだ。これが時勢であろうけれども、この時代の汐先きを早くも看取して、西へ東へと文壇を指導して徐ろに彼岸に達せしめる坪内君の力量、この力量に伴・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・娘は、うす暗い家のうちで、赤ん坊の守りをしながら、先刻、前を通ったやさしい少女は、いまごろどうしたろうと思って、その身の上を案じていたのです。しかし、この夜から、お母さんの病気は、だんだんいいほうに向かいました。 いつのまにか、冬がきて・・・ 小川未明 「海からきた使い」
・・・内気の娘は、その後も、浜辺にきて、じっと沖の方をながめて、いまだに帰ってこない、若者の身の上を案じていました。しかし、何人も、彼女の苦しい胸のうちを知るものがなかったのです。北国の三月は、まだ雪や、あられが降って、雲行きが険しかったのであり・・・ 小川未明 「海のまぼろし」
・・・たゞ単的に古い文化を破壊し、来るべき新文化の曙光を暗示するもののみが、最も新鮮なる詩となって感ぜられる。 私たちが少くとも生活に対して愛を感じている人達が、何か感激を感ずる場合には、いつでも其の中には詩が含まれている。 詩は文字の上・・・ 小川未明 「詩の精神は移動す」
・・・ 本当の芸術は現在の生活から飛躍した生活を暗示するものでなくてはならない。卑近な眼界からヨリ遠い人間生活の視野を望ましめるものでなくてはならぬ。此の力を欠いているものは謂わゆる現実性を欠いた芸術である。現実性のある文芸のみが、民衆の文芸・・・ 小川未明 「囚われたる現文壇」
・・・「なるほど、違えねえ、新さんが案じてるだろう」「癪をお言いでないよ! だが、全くのことがね、この節内のは体が悪くて寝てるものだからね」「そうか、そいつはいけねえな」 二 永代橋傍の清住町というちょっとした・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ いろいろ思い案じたあげく、今のうちにお君と結婚すれば、たとえ姙娠しているにしてもかまわないわけだと、気がつき、ほっとした。なぜこのことにもっと早く気がつかなかったか、間抜けめとみずから嘲った。けれども、結婚は少くとも校長級の家の娘とす・・・ 織田作之助 「雨」
・・・これから大阪へ帰っても、果して妻や子は無事に迎えてくれるだろうかと、消息の絶えている妻子のことを案じているせいかも知れなかった。 そう思うと、白崎の眉はふと曇ったが、やがてまた彼女と語っている内に、何か晴々とした表情になって来た。 ・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・ と云うことをちゃんと暗示して了うんだからね、つまり相手の精神に縄を打ってあるんだからな、これ程確かなことはない」「フム、そんなものかねえ」 彼は感心したように首肯いて警部の話を聞いていたが、だん/\と、この男がやはり、自分のことを・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
出典:青空文庫