・・・しかれどもコレラも黴菌病なりしを知り、すこぶる安堵せるもののごとし。 我ら会員は相次いでナポレオン、孔子、ドストエフスキイ、ダアウィン、クレオパトラ、釈迦、デモステネス、ダンテ、千の利休等の心霊の消息を質問したり。しかれどもトック君は不・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・井伊の陣屋の男女たちはやっと安堵の思いをした。実際古千屋の男のように太い声に罵り立てるのは気味の悪いものだったのに違いなかった。 そのうちに夜は明けて行った。直孝は早速古千屋を召し、彼女の素姓を尋ねて見ることにした。彼女はこういう陣屋に・・・ 芥川竜之介 「古千屋」
・・・おれは一巻の経文のほかに、鶴の前でもいれば安堵している。しかし浄海入道になると、浅学短才の悲しさに、俊寛も無気味に思うているのじゃ。して見れば首でも刎ねられる代りに、この島に一人残されるのは、まだ仕合せの内かも知れぬ。――そんな事を思うてい・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・宇左衛門は、気づかいながら、幾分か安堵して、その日はそのまま、下って来た。 それから、かれこれ十日ばかりの間、修理は、居間にとじこもって、毎日ぼんやり考え事に耽っていた。宇左衛門の顔を見ても、口を利かない。いや、ただ一度、小雨のふる日に・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・僕は横町を曲りながら、ブラック・アンド・ホワイトのウイスキイを思い出した。のみならず今のストリントベルグのタイも黒と白だったのを思い出した。それは僕にはどうしても偶然であるとは考えられなかった。若し偶然でないとすれば、――僕は頭だけ歩いてい・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・ Black and White ばかりでございますが、……」 僕は曹達水の中にウイスキイを入れ、黙って一口ずつ飲みはじめた。僕の鄰には新聞記者らしい三十前後の男が二人何か小声に話していた。のみならず仏蘭西語を使っていた。僕は彼等に背中・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・それならば今日生徒に教えた、De gustibus non est Disputandum である。蓼食う虫も好き好きである。実験したければして見るが好い。――保吉はそう思いながら、窓の下の乞食を眺めていた。 主計官はしばらく黙っていた・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・産婆が雪で真白になってころげこんで来た時は、家中のものが思わずほっと気息をついて安堵したが、昼になっても昼過ぎになっても出産の模様が見えないで、産婆や看護婦の顔に、私だけに見える気遣いの色が見え出すと、私は全く慌ててしまっていた。書斎に閉じ・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ それも心細く、その言う処を確めよう、先刻に老番頭と語るのをこの隠れ家で聞いたるごとく、自分の居処を安堵せんと欲して、立花は手を伸べて、心覚えの隔ての襖に触れて試た。 人の妻と、かかる術して忍び合うには、疾く我がためには、神なく、物・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・草は、内心大いに安堵していたのであります。もう、このくらい大きくなれば、太陽にすがらなくともいい、青木が冬の間我慢をしていたように、私も我慢のできないことはないと思いました。「青木の木さん、あなたはどんな花をお咲きなのですか。」と、草は・・・ 小川未明 「小さな草と太陽」
出典:青空文庫